日本経済新聞 2011年7月19日、文化のページより

木の味わい削り出す槍鉋

◇古代の工夫とつながる感覚、出会って15年・80本に◇

大道 敦ニ

 するするする。帯を解くように鉋くずが舞った。衝撃だった。それまで握ったことはなかったのに、不思議と手になじんだ。木に刃をあてると、導かれるように引けてしまう。感動のあまり、古代の工夫と一本でつながったような錯覚さえ覚えた。

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 歴史語る法隆寺の柱 この道具こそ槍鉋。棒杭の柄の先に穂の穂先のようなとがった刃が付く外見から、この名がついたようだ。大阪で大工稼業を営む私は、出合って以来この道具のとりこになった。以来15年間、大小80本、刃先の異なる槍鉋を使い分け、可能な限り、材木の表面をこれで仕上ている。

 槍鉋だとどんな仕上がりになるか、とよく聞かれる。鉛筆を、折り畳み小刀の肥後守で削ったときの木肌を連想してほしい。無数の小さな削り痕がひしめく感じだ。触ってもらえばわかるが、木の味わい、ぬくもりとでもいうものが伝わる。大小使い分けて入念にあてれば、表面はつるつるの仕上がり にもできるのだが、一歩前の粗さでとどめる。その方が手触りが良いからだ。

 槍鉋は木の繊維を傷めない。というより、木の思うとおりにしか削れない。こちらの意に沿って造作を通そうとすると、刃が引っかかることがある。「そこは逆目や」。まるで木が語りかけてくるようだ。そんなときは引かずに押してみる。するとすんなり刃が通る。

 大工には槍鉋と相性のよしあしがあるようだ。実際、かなり熟練の大工でもうまく扱えない人がいる。顧みて、この道具と出合えたわが冥利に、感謝の念が尽きない。
 槍飽の歴史は古い。古代から建築に使われていた。法隆寺の柱など、これで削っているから水をはじき、I000年以上の風雪に耐えて持ちこたえているとさえいわれる。ところが室町時代のころから台飽示鉋)に取って代わられ、使う大がら、均等で一様な力を刃に伝えなければならない。人間のることだから、ムラが出やすい。熟一練を要するから、時代とともに廃れ、台鉋と交代したのだろう。

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 宮大工に弟子入り 槍鉋の評価を一変させたのは西岡常一棟梁だ。奈良の法隆寺や薬師寺など、国宝の解体修理・修復にあたった、宮大工の第丁人者だ。西岡棟梁は一級の教育者のように、材木を一律に規格品扱いしない。生木一本一本の筋やクセを見抜き、適材適所にこだわった。その西岡棟梁が、懇意にしていた鍛冶に頼んで、槍鉋を再現させた。

 残念ながら私自身は西岡棟梁の下で働く機会には恵まれなかった。槍鉋に出合ったのは1996年、それまでの工務店勤めから兵庫県豊岡市の宮 大工に弟子人りしたのがきっかけだ。

 不調法な言い方かもしれないが、この時期に起きた阪神大震災で、私は槍鉋の腕を上げた。被災し傷んだ社寺の修復に追われ、場数を踏むことが できたからだ。棟梁からはもっぱら屋根裏に渡す梁の削り出しを任された。削り出しを重ねるうち、槍鉋の扱いが板についた。

 この削った味わいをもっと多くの人に伝えられないものか。そんな思いは募るばかり。ところが今日、宮大工の普請現場を除くと、槍鉋を使う機会は限られる。せいぜい 一般の床の間に使う床柱ぐらいだが、床の間をつくる家は減る一方だ。

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  「名人」めざし精進 このためリフォーム時に需要の多い手すりや、段差を軽減する玄関の敷台など単品販売できるものをあれこれ手がけるようになった。このほか、画家だった父からの親譲りで、最近は創作にも手を染めている。照明のスタンド、ワインラックなどインテリア作品のほか、置物などになるオブジェも合計50種3000点作った。

 普及の足かせとなっているもうひとつが価格。作業効率が低く、そのぶん仕上がりが高額になるためだ。たとえば手すり一つでも、槍鉋で仕上げると10センチあたり1500円。ホームセンターなどで人手できるものに比べ、ほぼ2倍の価格だ。ただ、大手住宅メーカーが販売する部材となら同額程度におさまる。

 かねて削りの所作が速いといかれた私だが、まだまだ名人の誠に到速していない。薬師寺の普請現場でみた名人は、長い柱に刃を当て、槍鉋をな んと駆け足で引いていた。精進しなければ。(おおみち・あっじ-大工)




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