「法隆寺の和くぎ 1350年腐らなかったのはなぜか」


第二回全国刃物サミットが三条で10月21日に開催されました。そこでの基調講演を新聞記事からご紹介します。(三条新聞13/10/23号より)

白鷹幸伯さん基調講演 古代鉄・・・手に入らない
千年もつ白鳳型和くぎ作る

白鷹幸伯さんは「鉄、干年のいのち」をテーマに一時間半にわたって講演したもので、三条の鍛冶職人をはじめ、首都圏のマニアなども聴き入っていた。
臼鷹さんは奈良薬師寺の再建に当たり、薬師寺が建てられた一干三百年前の工法を忠実に再現している西岡常一棟梁の依頼を受け、法隆寺や薬師寺東塔のような千年耐えられる自鳳型の和くぎを作った。

「本当に干年もつのかと疑っている人には、悔しかったら干年生きてみろと言っているのだが、私自身はもちこたえられると思っている」と笑う白鷹さんは、千年の理由について「七寸角の垂木に長さ三十一センチのくぎを打つ。ほかの部分なら外せても、垂木は途中で抜くことができないため、建物を千年もたすには、この部分のくぎも千年もつものでなければならない」と説明した。

製造方法については、「法隆寺のくぎが一千三百五十年間、腐らなかったのはなぜか。鉄の純度が高いからという説と、皮膜で表面が守られていたからという説、くぎの表面が隔壁構造になっていたからという説がある。樹齢千年以上の垂木に打ち込むくぎの場合、高い純度が必要だが、古代鉄は手に入らない。そこで井垣謙三東北大学名誉教授の協力を碍て日本鋼管でイオウやリン、ケイ素の少ない高純度の鉄を作ってもらった」などと説明した。

鍛冶技術に関しては「公開するのはきょうが最後」と断ったうえで、土佐鍛冶などの名人芸を撮影したビデオを上映。「三条の鍛冶職人の皆さん、このハンマーの早さや左手の返しをよく見ておいてください」と求めた。
臼鷹さんクラスの技術者になっても鍛冶仕事の後継者確保は大変で、「何とか息子に継がせることができた。息子が小さいころから、お前が死んだら国宝が直らなくなると言ってきたお陰です」と話した。

会場には白鷹さんが再現した飛烏時代から鎌倉時代にかけての和くぎやおの、やりがんな、のこぎりなどを展示。聴講者たちは休憩時聞も熱心に見入っていた。

次は同じ講演を記事にした越後ジャーナル(13/10/23日号より)

千年釘にかける情熱白鷹幸伯さん基調講演

白鷹さんの講演は、三条鍛冶集団の関係者のほか、一般客も多く二百五十人ほどが聞いた。

白鷹さんは、薬師寺をはじめ、白鳳時代に使用されていた和釘や古代の大工道具の再現にかける情熱を淡々と語った。
「白鳳期の構造材に用いる釘は、平安期以降の釘とは違い、大陸から渡来した当時のがっしりとした構造を保っている。構造のほか、鉄も古代と同じ材質を求め、腐食の原因である硫黄、リンなどの不純物を最新技術で取り除いた純度の高い鉄を求めた」と材質へのこだわりを語った。

薬師寺を再建するために保存しておいた高純度の鉄を、山口県岩国市の錦帯橋の架け替えを請け負った大工の棟梁に、鉄を使いたいと頼まれたとき「薬師寺の垂木に打ち込む釘と違って雨、風にさらされる所に使えない。ステンレスを和釘に見立てる技術もあるが、と言ったんだけど、その棟梁『江戸時代には、ステンレスもメッキもなかった』と頑固でいいこと言うもんだから分けてあげましたよ。」と職人らしい一言。

古代の大工道具、ちょうな、槍鉋などの復元については、「古墳時代までは、古墳のなかに古代の道具がむあるが、古墳時代以降、、仏教の普及に伴い、火葬が奨励されたので、平安時代の道具の復元は、なかなか難しい」と、平安時代の大工の作業を描いた絵巻をスクリーンに映し「もう少し詳しく描いていたら、復元できるのに」と笑うなど、気さくな話し振りで会場の笑いを誘った。
また、鍛冶を含め職人について「かつて、職人は、三男、四男と家族の口減らしのため、増えていった。だから、一代で腕のいい職人でも、二代、三代と続かないことが多かった。私の息子は、継いでくれてよくやっていると思いますよ。
息子が小さいとき、仕事を終えた後、真っ黒なままで接した、コミュニケーションがよかったのかな」最後に吉川英治の言葉「我以外我師」を紹介し「みなさんも、この言葉のようにして下さい。人生楽しくくなりますよ」と述べ、講演を締めくくった。

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