鉄は鉄鉱石を高温で溶かしたものが使われたのが始まりと聞いていますが、それは鋳物(銑鉄)であって、今で言う鉄ではありませんでした。
それが、何時どのようにして今の鉄、所謂錬鉄になったのか、ゴルフを研究している方が書かれた記事の中に、それ参考になる記事がありましたので引用させて頂きました。

このページをご覧になった方から、錬鉄を造ることと、鉄鋼を造ることを混同しているとのご指摘を頂きました。
改めて調べたら、確かに間違いがあることが解りましたので注釈として説明を加えさせて頂きました。(15/11/2)


日経14/5/30より
私の博物館 佐藤勲「貴族の楽しみ鍛冶屋に熱中」

大砲のための錬鉄、やがてアイアンに


古代からある、もろくて硬い銑鉄に対し、衝撃に耐え展延性のある軟らかい錬鉄がいつどのようにして生まれたのかを知りたくて、片っ端から文献を探ったことがある。

そんな時、たまたまナイチンゲールの活躍したクリミア戦争での悲劇の物語に巡り合った。フローレンス・ナイチンゲールはイタリア生まれの英国の看護婦で、三十二歳の時に多くの看護婦を率いて傷病兵の看護にあたり「クリミアの天使」と呼ばれた。
一八五三年の黒海北端のクリミア半島をめぐってオスマントルコ軍とニコライ一世軍が開戦、翌年その戦いにフランスと共に連合軍として参戦したイギリス軍は、予想外の苦戦に甚大な損害を受けた。 時のアバディーン政権は、参戦の不手際を英国民から激しく責められていた。この戦いで、献身的な働きをしたのが、ナイチンゲール女史だが、私が書きたいのは、この時の鉄の話である。

現地の司令官であるラグラン卿(きょう)が本国に求めてきたのは、砲身が長く、ひび割れを起こさない大砲であった。この大砲を作るためにどうしても必要だったのが錬鉄であった。
鉄が大量に作られ始めた中世以来、銑鉄で武器を長期にわたって作ってきたが、鉄素材の進歩は少なかった。今も世界各地に残る城郭の中で見られる大砲のすべては銑鉄で作られている。
これら銑鉄の時代、どんなに赤くしてもハンマーでたたいて形作ることなど無理で、鉄は粉々に砕けてしまった。イギリスは国を挙げて錬鉄の開発を呼びかけた。

 注意 これから以降の間に、下に書いた説明文の技術が入ると思われますので、下の説明文をお読みください。
最初に錬鉄生誕に成功したのがヘンリー・ベッセマーであった。彼の考案は、溶けた鉄を転炉に移し、その底から高圧の空気を吹き込む方法だった。鉄中の不純物とともに炭素は冷却どころか炎となって燃え、短時間に脱炭効果を起こした。こうして生まれた錬鉄は強力な大砲となってよみがえった。それはレールや石油パイプともなり、植民地制圧の最大の武器ともなった。

一方、ゴルフは羽毛を使ったボールから硬いガッティボールヘの変化と共に庶民にも普及していた。ウッドクラブ保護のため、アイアンクラブが硬質ボールに対応できることを知った貴族たちは、これを求めた。
イギリスで生まれた錬鉄は軍用武具を優先したため、小さなインゴットとなって市民の手の届くところとなったのは一八七五年以降だった。
幾人かの鍛冶屋(かじや)は、貴族の要望に加えて、ハンマーでハザード脱出用のラツトアイアンやドライビングアイアンに相当するクリークを作り始めた。J・グレイ、F・A・カーリツクらである。 やがてこの鍛冶屋自身が、馬の蹄鉄(ていてつ)を作るよりゴルフのとりこになってアイアン作りを本業とするようになった。
今、世界各地の博物館にある貴重なアイアンは、すべてこの錬鉄から生まれたものである。(クラブ研究家)
銑鉄は炭素の含有量が2.1%以上あるために脆いのですが、その炭素量を0.2%以下に落とすと粘り気のある錬鉄になります。

それを最初にしたのがイギリスのへンリー・コートで1783年に反射炉で銑鉄を溶解することに成功します。

この反射炉はパッドル炉と言い、石炭の反射熱で銑鉄を溶かし、火焔の酸素によって炭素が酸化除去され銑鉄は鍛鉄に変えるもので、
銑鉄は酸化により炭素を失うにつれて溶融点が高くなり流動性を失い自力でそれ以上反応する力を失うので、鉄の棒でぐるぐるかき回
して(かき回す=パドリングからパッドル炉と呼ばれる)製鉄するものです。 
  
更に、コートは従来のハンマーによる鍛造だけでなく蒸気機関によって圧延に成功するのですが、これをパドル鉄または錬鉄
(Wrought iron)と言います。

実は、鉋の地金は柔らかいほど研ぎやすいので、古い構造物、例えば昔輸入された鉄で建てられた鉄橋や橋などが壊される時に採取した
鉄を使うのが最良と言われており、越後では生地、播州ではカマ地と言って珍重していました。
この鉄は現代の進んだ製鉄法では製作出来ない、巣の空いた鉄なのですが、これが、ここで言う「錬鉄」なのです。
(正確には、現代でも製造可能ですが、鉋鍛冶しか使わないため、あまりにも少量で採算が合わないので造れないという意味です)

参考 炭素の含有量に応じて主に三種類に分けられます。 
   一、工業用純鉄(鍛鉄,錬鉄) 炭素の含有量0.02%以下 性質 軟らかく粘りがある 
   一、鋼 炭素の含有量0.02〜2.1% 性質 硬くかつ適度な粘りがある 
   一、鋳鉄(銑鉄)炭素の含有量2.1%以上 性質 硬く脆い 

以上は、私が調べなおして書いたものですが、最初にご指摘を頂いたSさんのメールをご了解を得ましたので次に掲載させて頂きます。

以下がそうです。

「大砲のための錬鉄、やがてアイアンへ」の記事ですが、錬鉄と鋼鉄を取り違えています。ベッセマーは、銑鉄から直接鋼を作るため
ベッセマー式転炉を発明しました。

 鋼が大量生産できるようになる前に錬鉄が大量に生産される時代がありました。
コートによる反射炉(パッドル炉)による生産です。錬鉄は炭素含有量が大変少なく粘りがあり、鍛造には適していますが鋼ほどの強さ
はありませんでした。とにかく鋼が普及するまえに約100年の錬鉄の時代がありました。産業革命を支えた偉大な存在です。

初期の鉄道、機関車、船、建物いろいろ使われました。エッフェル塔は鋼ではなく錬鉄製です。

また、その後には次のような追加説明を頂きました。

錬鉄は大変興味深い存在です。日本では、反射炉(パッドル炉がより正確)を使う大規模錬鉄生産の時期がないままに鋼の時代に入って
しまいました。

それであまりなじみがないようですが19世紀後半まではとても重要でした。大型の船、鉄橋なども作られました。鋼の生産が錬鉄の生産
を乗り越えたのは1885年前後です。

米国では、石油掘削業界には錬鉄が鋼より信頼できるという(迷信)が残っており、1930年にいたっても錬鉄生産設備を造っています。

錬鉄の内部にはスラグ(ガラスのようなもの)が薄い膜になって無数に重なっています。これらが錆を防ぐことになり錬鉄構造物は鋼より
錆びにくいともいわれます。

古い建築物に使われている釘(古来からの方法による錬鉄)の方が現代の鋼から作った釘より錆に強いという試験結果もあります。

ベッセマーの発明は偉大でしたが、燐が多い銑鉄には使えませんでした。これは後にトーマスによるトーマス転炉の発明で解決されます。
併行して、くず鉄も使える平炉がシーメンスやマルタンによって発明されています。
鋼が本当に普及するのは19世紀後半になりました。

東京大学正門の扉は、鋼、鋳鉄(銑鉄)、錬鉄の三種が使用されているとのことです。

なお、幕末に佐賀藩などで建設・使用された反射炉は大砲鋳造のために銑鉄や青銅を溶解するためのもので錬鉄生産のためのものではあり
ません。

以上引用させて頂きました。

間違いをご指摘を頂き、合わせてメールの掲載を快くご了承下さいましたSさんに厚く御礼を申し上げます。

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