新潟日報、2014/8/4号より
 先人のふるさと 揺藍の地を訪ねて

鍛冶の世界に金属顕微鏡

          冶金・刃物研究者 岩崎航介(いわさき こうすけ)(1903〜1967)

古里三条で理論を実践


 鍛冶の町、三条。職人の勘や経験に基づく鍛冶の世界に、終戦後まもなく、科学の目で金属を見るという新しい風が吹き込んだ。東京帝国大学、同大学院で学び、副手を務めた冶金(やきん)・刃物の研究者、岩崎航介が古里三条に戻り、地場産業を舞台にして理論を実践に移した。

 「『日本刀の科学的研究』を著した和鋼・日本刀研究のせ家、俵国一を受け継いで、俵が確立した顕微鏡を用いた金属細織研究の実用化と金属顕微鏡の利用普及に努めた。それまで体験的な知識に頼っていた刃物製造法の近代化に大きな足跡を残した」と、朝岡康二・国立歴史民俗博物館名誉教授(73)は航介の功績を解読する。

 「顕微鏡を鍛冶の現場に持ち込んで教えた。そんなことを当時やった産地はない。世界的に優れた刃物産地となったのは、岩崎さんを中心に東大などの研究者との行き来が活発で、優れた技術を地場産業が吸収したことが大きい」と指摘する。

    ■  ■
  1903(明治33)年、三条の刃物問屋「岩権」の次男として生まれた。旧制新潟高校を卒業後、家業を手伝い、経営危機に直面した。第⊥次大戦時に海外で広げた市場が、終戦とともにドイツの巻き返しにあった。
19歳。「父の仇(かたき)ゾーリンゲン」と心に刻んだ。同時に、当時の刃物ではドイツに勝てないとも判断していた。
 「日本刀の切れ味が万邦無比なのは外国人も認めている。日体刀の秘伝を調査し、ナイフ、剃刀、小刀などに応用すればドイツ刃物に勝てる」。鎮守八幡宮に30年で研究を完成させると誓った。

 横浜の刀剣研師に入門した。日本刀の秘伝を記す古文書を読むために東京帝国大文学部国史学科に進んだ。神奈川県逗子町(現逗子市)で中学講師として働きながら国史学科を卒業。日本刀の製法を科学的に研究するため同大工学部冶金科へ。俵国一の門下生になった。同大学院に進み、修了後も副手として残った。
 2人の刀匠にも入門。終戦まで全国160余人への刀匠を探し当て、秘伝書52種、鑑定書30O種を読んだ。古来日本刀原料となった純度の高い玉鋼を使って研究を繰り返した。一方で、政府や軍、産業界の賛同を得て、大陸資源調査会を設立。調査隊長となり、毎年モンゴ池に渡り地下資源を探した。

  45年5月、家族を連れて三条に疎開。終戦で刀剣研究は一時中断した。
戦後、原料調達や貿易の助言、熱処理用炉の開発なとコンサルタント的な役割も果たした。航介、長男の重義さん(81)、大学の研究者を講師こ勉強、研究会も開かれた。「参加した者はたいてい金属顕微鏡を持った。鋼の組成などが解明でき、いいものをつくる目安になった。先生らがいたおかげで今の私がある」と三条鍛冶集団元代表の池田慶郎さん(73)は振り返る。

 玉鋼を使った刃物の研究は、国が技術研究補助金60万円を交付し、本格化する。豊富な人脈を使い、重義さんを大学や企業刀匠などに派遣、修業させ、実技を任せていた。「何でも預けられ、行く先々でさまざまな勉強をさせてもらった。最新の具や情報にも触れられた」と重義さん。54年、航介が「ゾーリンゲンものの1倍半は優秀」と評価する剃刀ができた。



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 がんなどと闘う中、66年、またとない仕事が来る。宮内庁が正倉院の宝物を新しい観点から精査。昭和の記録として残す事業に、刀剣類の科学的調査を新たに加えるというものだった。
しかし宝剣を自ら顕微鏡でのぞくことはかなわなかった。67年8月、刃物にかけた64年の生涯を閉じた。調査は重義さんらに引き継がれ「正倉院の刀剣」として発刊された。収録した報告書は父子の連名だった。
 重義さんは98年、ドイツで開かれた「国際匠の技メッセ」で刃物造りを10日間、実演し称賛された。玉鋼を使った刃物は、最高賞の金賞に輝いた。

 神奈川県逗子町(現逗子市)に住んでいた岩崎航介をモデルにした人物が、吉川英治の小説「宮本武蔵」に登場する。「かたな談義」の章で「厨子野(ずしの)耕介」という研師が、武蔵に対して刀への思いをぶつけている。これは新聞連載されていた「宮本武蔵」作中にある刀の描写などに異議があると、航介が吉川邸を訪ねたことがきっかけ。この日や後日にした会講の一部が表情、しぐさとともに、 知らない間に小説化された。航介は作家の記憶力に驚いたこと、挿絵も似ていたことなどを書き残している。

 【参考文献】三条金物青年会「岩崎航介遺稿集 刃物の見方」(野島出版)、同復刻版(慶友社)、「正倉院の刀剣」(日本経済新聞社)、「三条鍛冶のはじまりと発展」(三条市)など。
 文・三条総局長 蛭子 克己  写真・写真部 大渕 一洋
   三条金物青年会で「岩崎航介遺稿集 刃物の見方」を編集の折、私も編集委員でしたが、最後に編集後記を書けと指示があり、この編集後記は私が書かせて頂きました。
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