新潟ネスパスで”刃物”を語る

岩崎さんの刃物についての「考察・刃物」の論文を既に資料集に載せていますが、この度、新潟ネスパスで刃物について講演されたものが「日本刃物工具新聞」(13/7/20・13/7/30・8/10号)に掲載されました。刃物に付いての初歩的な解り易い解説ですので、ここに紹介させて戴きます。

表参道・新潟ネスパスで講演

岩崎重義”刃物”を語る

多角的に刃物を解説  三条鍛冶集団の筆頭師範岩崎重義氏が七月十四日と十五口の両日、表参道ネスパスで開催された「三条鍛冶の技」展で『岩崎重義“刃物"を語る』と題し、講演会を行った。講演では、黒曜石からの刃物の歴史、日本と海外の刃物、鉄・鋼・鋳鉄などの鋼材、宇宙から飛来した「隕鉄」のほか、話題は多岐にわたった。実物を使って鉄・鋼・鋳鉄を聴講者に手にとってもらいながら、グラインダーで火花を飛ばすなど、違いを分かりやすく解説。会場は、刃物に造詣が深い人から刃物を詳しく知るのは初めてという人まで、多くの聴講者で満たされた。本紙では、この講演の内容を数回に分けて連載していく。

その1 金属をめぐる古代ロマン

日本の刃物外国刃物

日本の刃物の話をする上でどうしても知っておいてもらいたいたいことがあります。それは、刃物とは鉄でできているものもあり、鋼でできているものもあり、別の材料を使っているものもある。特に日本の刃物は、鉄と鋼を組み合わせというのが特徴で、他の国では、ほとんど鋼だけで刃物を作っています。日本の場合は、ヤスリ、鋸など特殊な刃物は、細い、薄いということで鉄と鋼を台わせて細工するのは難しい、ということから全部鋼でできています。
今の経済産業省の本を見ますと、「工具」という分野があり、これには作業工具、建設用工具などがありますが、私たちが身の回りで使う、特に三条製刃物類は「利器工匠具類」という分類になります。
「利器」とは鋭い刃を持っている工と匠が使う工具「道工具」とは昔から使われている鶴嘴など、「農具」は鍬、鎌など。これらを全部含めて「刃物」といいます。それぞれの用途に使うものでも、外国ではすべて鋼だけです。

鉄・鋼・鋳 鉄の違いは

材料として、鉄、鋼、鋳鉄があり、一連の家族と考えてください。鋳鉄は、材料を壷に入れて溶かし、型に流し込んで同じ物をいくつも作る。鋳物というのは、人類の発展の中で金属を使うようになってから、かなり早くから使われていました。刃物は叩く、切る、削るなどをやると同時に、熱処理で石のように硬くする操作をした。人類が地球に発生した約三百万年から二百九十五万年前、その頃は石を割って刃物にしていたと考えられている。現在では、非常に重要な道具として人間の暮らしの中に現れ、恩恵を受けています。
できる限り鋼と鉄の違いを理解していただけるよう、ハンドグラインダーを使い、摩擦熱で出た火花の違いを見てください。鉄は、素直にまっすぐ火花が飛んでいって、単純です。
次に鋼は、火花が飛んでいく時にいくつにも分かれ、線香花火のよう。三つ目の鋳物は、この中では一番低い温度で溶けます。形になったものは冷たい状態でも、火の中でも、叩くと形が変わる前に割れるので、鉄と鋼とは違って叩いて形を変えられない、という違いがあります。火花は、黒味を持ったまっすぐの光が先の方でチラチラとなるのが鋳物の特徴。これをそのまま叩くと、粗い砂を集めたような状態で、色が黒いです。これらが、私たち鍛冶屋が使う材料の基本的な三つのタイプです。

石器時代の刃物黒曜石

石器時代には、硬い石ほど大切にきれた。火山性の溶岩で、天然ガラスの黒曜石は、関東から新潟県、山形県、冨山県の一部に道具として使われていました。
神津島は非常に価値ある、しかも豊富な埋蔵量を持つ黒曜石の産地です。今から約二千五百年から二千三百年前、神津島から材料が出ると同時に石の刃物は物々交換の大事な資源として、本土へ運ばれていたということが、五・六年前から指摘されています。長野県にある人形峠からも黒曜石が取れ、新潟県でも二力所あるが、埋蔵量が少なく現在ではほどんど採取できません。
天然石のガラスは、割ると薄くて良いが刃が取れ、石器の中では最高の切れ昧を出す。遺跡調査の展示や博物館で並んでいるが、実際に手に取ることができない。やはり、手にとって紙を切り裂いて、「良く切れる」という感覚がないと納得できない。私たちは神津島から大きな黒曜石を手に入れて、石の刃物を作る復元実験をしたい。

石から金属への進化

約五万年前から人類は、金属を授かっているが、特に鋼が石に近い状態になることが分かったのは、かなり年代がたってからだろうと言われています。石の刃物から金属の刃物に変わったのは、金属のほうが自由自在に形を変えられることがあります。ある硬さと粘りを持つのに対し、石は硬いだけなので、鋭くしてよく切れるようにすると欠けやすい欠点がある。でも、人類が地球から金属を取り出したのは、歴史的には非常に幸運だった。
地球上で天然の金属で人類の目に触れたものは金、銅、プラチナだけ。最近は、流れ星が金属の形をした鉄として地球にぶつかり、それで人類の目に触れた「隕鉄」で鉄を手にした民族がごく稀にいたかもしれない、と考えが変わってきています。地球に落ちてきた天体の一部は「隕石」と言いますが、その中で金属部分を「隕鉄」と言い、主成分の八割が鉄で、残りがニッケルなど他の金属です。歴史を見てみると、約五千年前にどうやら「隕鉄」を使ったのではというものも発見されたりして、最近そのようなことがポツポツと解ってきています。
エジプトのツタンカーメンのお墓から二トンを越す金を使った王の棺が、四千年前に作られているということは、意識的に金属の多くが集められた結果です。どのようにして、別の石の中にある単体で人間の目に触れた自然金や自然銅以外のものを精錬して、金属にしたかは謎のままです。その辺りから鉄に移ってきたのではないかという説や、もっと別の要因が考えられます。何の記録もありませんが、あるのは土の中から良い状態で見つかった道具だけが頼りです。だから、歴史という学問の部分で、金属を使うようになった人間の歴史が、非常に重要になるのでは、と考えています。この鉄は日本産で、二百五十年前のものです。いわゆる日本の鉄ですから、和鉄と言っています。こちらはスウェーデンの刃物用の鋼を作るのを業とするサンドビックが作ったもので、今日会場で展示している中でこれを使っている鍛冶屋も何人かいます。非常に使い方は難しいですが、上手くこなすと最高の性能が出ます。これは鋳物を割り取ったものですが、見たところあまり代わり映えしない。だけど、これだけ性格が違うということを認識してください。

火の色の赤 灰の色の黒

三条鍛冶集団というボランティアの集団ができて九年経ちますが、いろいろな催しをするときに制服だけは作ろうということで、火の色の赤と炭の色の黒をデザインしました。私も海外の仕事には必ず赤と黒の力バンです。現地でなぜ赤と黒かと問われれぱ、「私は鍛冶屋だ」と言えば判ってもらえます。 だから、若い鍛冶屋さんや他の産地の方とお話するとき「気を付けろよ」と言います。この赤の時には、火の温度は七七〇度から七八〇度になる。私が赤い色の服を着た時には、カッカ来ている時だから、九百五十度でのぼせていて、白を着たら危ないんだぞと(爆笑)。海外の人も制服は好きなようです。デザインは別として、色で職業を表現するのぱ悪くないと思います。われわれ鍛冶屋の色はこれなんだと。だんだん歳をとってくると、灰の色までついてきますけど(爆笑)。

その2 化学と文字の世界の金属

「鉄」という金属・性質とは

日本に古くから伝わる、鉱石から鉄を取る〃たたら精錬法"があります。特徴は大変低い温度て鉱石の中の金属を鉄や鋼にできる。
今のヨーロッパでは、一旦鉱石を銑(ずく)と同じ鋳物にし、さらに酸素を送るなどで調整し、鉄にしていく。簡単に大量生産ができるという特性を持っています。日本は鋳鉄ではありますが、融けて固まるのではなく、飴のようにポトポト落ちて固まり、鉄製の金属になる。
面白いもので、鉄鉱石というのは石も含まれており、炭を使う、あるいは粘土で壁を作ると底が融けだし、鉄や鋼以外のものを張り込むことができる。粘土や石の固まったような粗っぽい状態で、やっと材料を金属として使える。
鉄、鋼、鋳物とそれぞれ違いがありますが、科学技術で金属の分析が進むと、「鉄」とは何かという問題があがります。鉄と炭素の関係を見ると、鉄は「Fe」という元素だけが鉄である。そこに〇・〇三%までの炭素が入っていても、基本的な性格は変わらない。つまり、どんなことをしても硬さ、融ける温度も変わらない。鋼は〇・〇三%以上一・七%まで炭素が入っている。鋳物はそれ以上炭素が入ってます。
要するに、鉄、鋼、鋳鉄という区別は、鉄と炭素という二つの元素の合成された量で違いが出てきます。
炭素は面白い元素で、普段私たちが炭素というと、薪を燃やしてできる炭、黒鉛という形の炭素である鉛筆の芯などがあります。もう一つ変わった形の炭素の状態に、ダイヤモンドがあります。非常に硬く、恐らく今ではこれ以上の硬さを持つ鉱物の金属はないと思います。硬くなる炭素は、鉄と結んだときに鉄に対して硬くなる何かを持ち込むらしい。鋼は〇・〇三〜一・七%の炭素をもらうと硬くなる性質を持ちます。

金属の文字が意味するもの

だから「鋼」という字は、中国では金属を「金」という字で表し、硬いという意昧は「剛」という字を使った。そこから、「硬い」「金属」を合体させて、紀元前五百年ごろに「鋼」となった。イギリスでは「スチール」、ドイツでは「スタール」という言葉があり、どこの民族でも硬くなる材料を認識していたようです。日本では、「くろがね」「まがね」「はがね」と、「かね」という言葉を使い、また黄金も「くがね」「こがね」と読みながら、文字は中国のものを使っていた。ここから技術者が「この材料は硬くなる性質がある」、さらに焼入れという作業で硬くなる、と認識していました。
この時代からすでに、鍛冶屋の技術的な内容が文字に含まれていることが分かっています。
日本では現在、鉄、鋼、鋳物の区別が、学校で全く教えられていないと同時に、鋼という大事なものを使った刃物も触っていません。これは、第二次大戦終了後、教育制度が変わってから特にひどくなっています。日本の刃物に関する技術と言い伝えが残っているのだから、それを発掘して、われわれも勉強しなけれぱならないし、若者にも伝えるべきだと思います。

その3 ハサミは職人技の結晶・基本変えずに変る三条

「武」に込めた平和思想

今年も、小学生が刃物で命を絶たれるという、悲しい事件が起きてしまいました。事件があるたびに、事件の原因は何か、誰の責任か、どうしたら犯罪を防げるか、という前に、学校関係者以外は校内に入れない方法など、別の理論が出てくる。刃物問題に関して、三条商工会議所の商業部門、工業部門の協同組合は、刃物を作る、売る、使う専門家として、楽しく刃物を使う教育を子どもたちにしてはどうかと捉案しました(編集部注=内容は本紙六月三十日号掲載)。これは一昨年に提出したものですが、その一年後に西澤潤一岩手県立大学長が我われと同じ趣旨のことを提案しています。
刃物というのは、私たちにとって歴史も長いし、種類も増えている。その反面、暮らしに役立たない刃物、つまり武器として作られた刃物もどんどん開発されている。「武」という文字は、争いの手段としての「武器」「武業」、戦う人を「武士」というように使われます。この文字は、「文」を使うことを「止」めるというのが最初の意味でした。
要するに、争いの場合にはお互いの「文」を見せ合い、話し合い、殺し合いを「止」めようと。現代でも通用する思想が入っているのが、「武」という文字です。
しかし、刃物が争いの時に使われたのも事実です。事実は事実としてはっきり見ることで、また変わった見方が出てくると思います。私たちの日本国憲法は、全くこの考えに則ったものだと思います。でありながら、世界中では争いが絶えない。刃物から、手段の違う武器を作り出すことも芳しいこととは思えません。車社会、インターネットの世界など、人間に便利なものは、必ず裏側に危険が伴っています。
金属、特に鉄、鋼がない限り、どんなものも人間の努力と知恵によって開発されなかったと思います。親がいるから自分がいるということを忘れてしまうように、このことも学校の子どもたちは知らないというのは、恐ろしいことではないでしょうか。刃物を使うことで、手先が器用になるという言い方もされますが、その前にどうしてこんな便利な道具ができたのか、という不思議さを感じさせてあげたほうがいいと思います。それらを踏まえ、教育問題の中に刃物というもの、あるいは技術の歴史、人問としての努力と知性の出し方をにじませたい。
三条でも、現在では三万種類もの刃物が作られています。このような莫大な数をこなしても、鍛冶屋の仕事で一番大事なことは、杜会で大勢の人の生活の下支えをすることだと、私は若い鍛冶屋さんに言っています。ですから、先に利益をあげる、会社を大きくすると考えがちですが、それらはみんな人問が関わっていることです。人問というのは何をしていけば良いのかが分からなけれぱ、いくら事業をしても長持ちはしないのではないでしょうか。

知恵を絞った特製ハサミ

刃物の中で今日触れたかったのは、一つの刃を持つ包丁や鉋より、二つの刃を持ちながら一つの用途に使うハサミです。ハサミを作っている工場は三条にもたくさんあり、束京にも出荷しています。お客さんからこういう用途に使いたいと依頼されたら、ハサミを工夫するのがハサミ鍛冶の仕事。昔から言われていることをやるだけでなく、自分の工夫が必要です。
ここに非常に変わったハサミをお目にかけようと、持って来ました。このハサミは見たところカニのハサミみたいな形をしています。九州の宮崎県では温室栽培にすると、真冬でもカボチャが収穫できる。それを出荷する時に柄が付いたままだと、カボチャが重なった状態の時に上のものが傷むので、腐りやすくなってしまう。そこで、へこんでいる柄の根元から邪魔にならないように切るため、名前を「カボチャの芯切り」として四年半かけて作りました。これは一般家庭には必要ないので、見られることもない。だけど、これが現実に使われると、そうとうの数が九州に向けて生産される。今度はカンボジア、中国などの暖かいところの人たちがみんなこれを使っている。
具に国境はない。初めは全部手で作ったが、一定の商品にしたいので、原姶的な機械を使い、もう少し上の機械を、そして焼きを入れるなどしてできたのが、この「カボチャの芯切り」。
今日の日本は定年後の第二の人生に趣味、生涯学習などをする方が増えていますが、盆栽も人気がある。盆栽をやる場合は、必ず針金を使いますが、その針金を切るための「盆栽の針金切り」。結んでいる枝が太ってしまい、針金を切る時にも便利。これは忍者でも持っていない(笑)。
これはヤットコに似ているけど、そうではなく、木の枝で邪魔なところを半分だけ切るもの。「枝割り」といいます。
これは「こぶ切り」といい、盆栽は余計な枝を切ると、木がその部分を修復してこぶになる。そうなると、スマートな盆栽にならないので、これで切ってやると、薄い皮で全く幹と同じように再生する。
このようなものができるのは、材料の扱いを知っていればできます。それから、何に使うかが大事。複雑な重いものではなく、なるべく軽いもの、材料の少ないもので。

最高傑作「くりくり坊主」

いろいろな、変わりハサミがありますが、その中で現在の最高傑作は家庭にも普及した「栗くり坊主」です。開発には私も関わり、足掛け六年かかりました。
新潟県の栗農園に来ていた人に、栗の皮を剥いて帰りたいという人がいた。包丁を使ったところ、手を切る、手が痛くなる、皮を厚く剥きすぎる。何とか栗の皮を簡単に剥ける道具を作ってくれないかと頼まれた。まず二年問は全部失敗。そのうち、まがりなりにも削れるものができた。
ところが、職人がやっても一日一丁できない。そこから原料をもう一度洗い直した。要するに、皮にくっついて、剥く時に滑らかに切れれば良いのだろうと。そこで、安全替え刃のメーカーとタイアップし、特殊な刃を作った。一番初めにできたのは、ペンチかヤットコみたいだった。もうちょっとスマートにできないかという意見もあったが、実際に仕事をしてみて喜んでもらえるかが先だった。それからグリップにプラスチックを使うなど、改良に改良を重ね、ついに始めてから四年で三百万丁作った。しかも毎年コンスタントに出る。
初めは三条の問屋さんに、次いで週刊誌で紹介したところ、大量に注文が入って生産が追いつかない。その時は三万丁売れれぱいいと思っていたが、なんと注文だけで十四万丁。あまりに注文が多すぎるので、次の年の予約を取って計画生産をすることになった。
この数を見て、どんなにみんなが栗の皮を剥くのに苦労をしていたかが良く分かった。と同時に、「よくも飽きもしないで、毎日栗の皮を剥いたなあ」「食べるのがイヤになったなあ」と言ったものです(笑)。
「栗くり坊主」という名前は、安全替え刃メー力ーの社長が仕事の後、飲みに行った店で栗を剥き、それを見た隣にいる女性が「おもしろい、このくりくり坊主」と、ふと言った言葉で決まりました。その後、韓国がたちまちに見つけて、実物を基に作ってみたが、剥くことができない。どこが違うか。プレス機械の精度、プラスチックの型を取る精度、プラスチックの配合、刃の角度、ギザギザ刃のかみ合いの微妙なすき問が違う。これを我われの方は、全部数値を取って設計図を作ったから、同じ物ができるようになった。
刃物というと、鍛冶屋が一人でコツコツと作るというイメージが強いですが、今の鍛冶屋は変質しています。科学的な方向にも目を向け、使える道具を探しては何かに使えないかと考えている。三条でも現在ではそのように変わってきているから、業種的に何かを作り、その時の調査で三力月かかっても流れは変わります。昔ながらのやり方でやっている人もいれば、コンピュータの組み立てもやっている人もいる。
それが三条というころで、常に変化をしている町です。
しかも基本は鉄と鋼と鋳物。これを今日の話の締めくくりとします。(おわり)


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