三条新聞平成22年11月21号より

ケラから玉鋼に、小だたらから操業5年がかりで

刀匠の岩崎、佐藤さん講師に
三条の若手鍛冶職人 日本古来の技を学ぶ

三条商工会議所の伝統地場産業振興委員が行っている「小だたら操業」で二十、二十一の二日間、三条市高安寺の三条製作所(岩崎重義代表)を会場に、取り出した成果品の「ヒ(ケラ)」を鍛えて鍛冶原料の 「玉鋼(たまはがね)」に鍛える成果品鍛え鍛え作業を行っている。刀匠の岩崎さんと、弟子で刀匠の佐藤勇重利さん(東京都)らが指導役となり、三条の若手の鍛冶職人たちが日本古来の伝統の技を学んでいる。

伝統地場産業振興事業では、これまで五年ほどかけて三条で日本古石来からある砂鉄と炭から鋼を精錬する「だたら操業」の縮小阪「小だたら操業」に取り組み、三年ほどは失敗が統いたものの、昨年とことしは佐藤さんの指導を受けたことで確実に成果品の「ヒ」を取り出すことに成功。今回は一歩進み、ヒを鍛えて「玉鋼」にする工程を学んでいる。

 今年度の同事業には市内の若手鍛冶職人九人(いずれも越後三条鍛冶集団のメンバー)が参加し、今回は昨年七月の「小だたら操業」 で取り出した[ヒ」と、ことし九月十八、十九の二日間で行った「小だたら操業」で取り出した「ヒ」をもとに、岩崎さんと佐藤さんの二人の刀匠と、三条製作所の水落艮市さんの三人の指導を受けて「玉鋼」に鍛える工程を学んでいる。

 初日の二十日は午前八時に三条製作所に集合し、午前中は昨年の「小だたら操業」で取り出した板状にする準揃作業を行った。
 午後二時からは板状にしたヒを六枚重ねて火床(ほど)に入れ、輔(ふいご)で風を送りながら炭を熱し、「ヒが沸く」のを待った。



 最初に佐藤さんが手本を示し、内部の温度を測るわけにゆかないから、温度や素材の変化は炎の色と素材の発する音で判断する」と言い、炭を継ぎ足しながら火床に耳を傾け、炭のはぜる音の中に「ジュブジュブジュプ」という粘りのある音が混ざると、「ほら来た。この音です。これが鋼が沸いた音。完全に溶けてしまう溶解の前の段階。この音が取り出すタイミングを教えてくれる」と言い、真っ赤になった鋼を取り出すと、ハンマーで叩いて再び火床に入れる。 「これを二回なのか三回なのか、何回やるかはその素材の特性によって違ってくるから経験で学ぶしかない」とし、鍛冶職人たちも作業を手伝いながら目を皿のようにして鋼の状況を確認していた。

 現在、日本の刃物産地ではほとんど現代洋鋼を使い、日本の刃物作りの原点となっている千年以上も前から続く和鋼(玉鋼)でのもの作りを行っているのはわずかに刀匠しか残っていない。
 それをいま、刃物産地の三条で行うことの意味について岩崎さんは、「たたらも玉鋼が生まれる原理も現代科学では解明できていない部分が多いが、この作業の中にこそ日本の伝統鍛冶の知識と経験が凝縮されている。この土台の上に三条の刃物があると実証することで、三条産地のレベルアップも商品価値のアップも図られる」と言う。


 作業中の休憩時間には、佐藤さんが鍛冶職人たちに日本刀を披露し、岩崎さんの師匠だった新潟市の故長島昭麿さんが太平洋戦争中 に海軍将校用に打った軍刀をはじめ、平成二年に岩崎さんが打ったもの、そして岩崎さんの元で修業して刀匠となった佐藤さんが打ったものと、師匠、弟子、孫弟子の三代の日本刀を並べて見せた。
(次のページの下方に長島平次郎さんの昭麿の刀を掲載しています→「昭麿の刀のあるページ」)

 若手職人たちは直系の師弟三代の日本刀の直刃の美しさに、「きれいたけど怖いですね」と恐る恐る手を出して触らせてもらい、重さと輝き、刃紋の美しさ、伸びやかな鎬(しのぎ)の張り出しなどをさまざまな角度から眺め、「本物を見ると刀を打ってみたくなりますね」と頬を紅潮させていた。

 岩崎さんは「日本は明治維新で西洋文明を取り入れたとき、翻訳で『Ra11way』を『鉄道』と訳してしまった。しかし、鉄道の線路は鉄ではなく鋼。列車の車輪は鉄鋳物で、それぞれ鉄とは組成が違うのに、『鉄道』と呼んでしまったために、全部『鉄』だと思われている。そうしたことが積み重なり、今では鉄と鋼と鉄鋳物の区別がつかない日本人がほとんどになってしまった」と言う。

 実際、鉄は柔らく、鋼は硬い。鉄(純鉄=Fe)の融点は千五百度を超えるが、鋼はそれより低い千二百度から千四百度ほどで、この日の作業で行った「鋼が沸く」という状態は千二百度程度で起きた。組成も鋼はFe十FeCという鉄と炭素鉄の結合体で、物質としては鉄とは別のもの。その証拠に鉄と鋼をそれぞれグラインダーにかけると、鉄は細い線状の火花を出すが、鋼は美しい線香花火のような火花を飛ばすため素材が違うことがひと目で分かり、「こうしたことも『刃物産地では常識』であってほしい」と話していた。


若手職人たちはきょう二十一日も午前九時から三条艇作所の工場で、自分たちの取り出したヒから玉鋼を作る作業に取り組み、午後四時ころに終わる。

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