鉋台屋のアメリカ体験記 猪本 功

三条木製品協同組合機関紙「木作り三条」平成14年3月25日号・7月25日号より

 昨年八月ボストン郊外に工房を建てたスタンリーから十月に砲台作りのセミナーをやりたいと電話があった。アメリカに行ける楽しみとアメリカ人が砲台を作る?そんな興味で「行く」と二つ返事をした。テロ事件で一時はどうなる事かと思ったが、十月四日金物商社と成田発シカゴ経由でボストンヘ出発。十五時間余りの飛行機の旅だ。時差の関係でボストンには四日午後二時半に着いた。スタンリーの車でボストン市内を見学し、夕刻スタンリー宅に着いた。彼は三十八才で十三年間姫路で大工道具、刃物、漆等日本の伝統文化を勉強し、その時知り合った日本女性と結婚。三年前アメリカに帰り、ボストン郊外の雑木林六千坪を買い工房を建て日本の大工道具、刃物を専門に売る仕事を一年前から始めた。

 スタンリーはイベントやセミナーを積極的に開き売り込んで行きたいと言う。日程は十月六日鉋台作り、七日飽削り大会を行う。私達とスタンリーは当組合から借りたハッピを着て日本をアピールする事にした。ホテル代は別で受講料は五万四千円。
受講生は十二、三人で飛行機で来る人もいるとの事。年齢は二十代〜五十代で素人ばかり。前日の午後にはテント持参で会場に着いた人もいた。当日朝七時半開催で受講生全員集まった。
スタンリーは台の説明と曲尺の目の見方の説明を行い、寸、分、厘、毛、糸迄教えたので難し過ぎるのではと言ったが、日本の道具はそのまま覚えて貰うと彼は言う。ひと頃尺貫法で寸、分をセンチ、ミリとしたが、アメリカ人の方が日本の文化を大切にするのだと思った。私は一通り作って見せてから作業を始めて貰った。穴掘りだけでもお昼近く迄かかった。昼食は和食弁当で皆箸を上手に使って喜んで食べた。私は怪我をしているのでフォークで食べたことから日本人とアメリカ人が逆になったと大笑い。午後からは飽の仕込みに「入ったが 受講生の二人は穴を掘りすぎてしまい、鉋台が作れないからスタンリーに取替えて穴掘の所までしてやるからと言うと「自分でしたことだから、作って貰ったのでは意味が無い」と言う。こういうところにアメリカ人と日本人の違いを感じた。夕方迄には全員作り終え安心した。二日目は刃研、台均しをし、午後より四メートル程のヒノキを削る大会に入った。
アメリカの鉋は押して削る方式だが引いて削る事に少しも抵抗がなく、背が高く力があるので皆上手に削り、透けて見える程薄い屑が出たので大喜び。私にも削れと言うので引いたが、屑が途中でとぎれてしまい、一番下手だったので笑われてしまった。「又来て下さい。仲間を連れて来るから」と言って帰ったので、セミナーが好評だった事と日本の鉋の良さを知って貰った事は大変嬉しかった。

               注:これらのお話は、猪本さんが今年の年始のご挨拶にお出でになった時に
                  詳しくお聞きしましたので、ネットにアップしたくて覚えているうちに
                  と思って書き始めたのですが、忙しさで断念したものです。
                  その時のお話では、最後にどうしても切れない人がいたので調べたら研
                  ぎを入念にしているのに、肝心の刃先が当っていなかったためと解り、
                  それを注意して研ぎなおして、最後に同じように削れたとのことでした。
         また、問屋さんと同行されたと書いておられますが、その問屋さんが
         スタンリーに大工道具を卸ているとのことでした。
         ですから、猪本さんの仕込んだ鉋が結構使われているのだと思います。
 次の日、ニューハンプシヤー州まで紅葉を見に出かけた。広い高速道路脇の林が続く。カエデの類だろうか一本の木が赤、黄、緑と‥美しい。紅葉のメッカだと言うホテルで昼食をとった。
10月9日、ボストン市内の専門学校鉋台作りと削る実演を専した。
この学校は歴史のあるアメリカ随一のレベルの高い専門校でボストン美術館の家具等の設計製作の勉強をしている昔気質の学校で日本の鉋なんかと冷ややかな目で見られるかも知れないとスタンリーは心配する。鉋台作りの実演がある事を校内放送で紹介。40位集まり熱心にメモを取ったり質問をしてくれた。
出来上がった鉋台を生徒から削って貰い、薄い屑とツルツルに削れた木を撫でてもらい、どんな印象かと聞くと大きな拍手をしてくれたので、あ−良かった。老教授が全館を案内してくれ、家具科では先程熱心にメモや質問をした60才位の生徒が鉋を出してきて私に見せた。
ブライアンさんの所で出合ったのと同じマークの飽だ。この人も使ってくれていると感激。ピアノ調律では横浜の男性が、宝石加工では東京の女性が勉強中だった。

 ウエストバージニア州での木造建築組合のセミナーと展示会に出席の為10日出発。15時間余りの車での移動は、さすがにアメリカは広い。いくら走っても両側の景色は林、林で至る所に動物が犠牲になっていた。

11日の夕方広い牧場と林に囲まれた会場に着いた。周りに二階建ての宿泊施設が数棟有りイベント専用の場所のようだ。このイベントは全米から三百人余りの大工が集まり木造建築を学ぶセミナーで私は三日間鉋台作りの実演を行なう。ロビーの一角を実演場所に与えられ大工の集まりだけにどんな反応があるか楽しみだ。翌12日午前中、鉋の特別講習で大勢の人から本格的な質問を受けた。スタンリーの通訳でここでも好評で片膝立てる人、座る人、あぐらをかく人で積極的に鉋削りに挑戦する。持ち方も知らない女性でも教えれは夢中になって削り鉋屑を記念に持ち帰った。14日夜には出品者の寄付された品物のオークションが有り落札者には、やんやの喝采。私の鉋もセリにかけられ三倍の値段で落札されたので会長に大変感謝され買った人からサインを求められ、始めてのサインでスターになった気分を味わった。

 16日はボストン郊外の金物店を見学。日用品等一切なし。木工工作用品、電動工具等整然と並んでいて魅力ある店だ。日本製の鋸、錐、ノミが数点置いてあった。ここでもサンフランシスコの商社からの鉋を店の人が持っていたので再三出会うとは非常に嬉しかった。
 最後に日本の刃物は大変評判が良く値段は高くとも良い物を供給していけば木の豊富なアメリカでは使ってくれる人が多いと思う。我々の仕事も海外に目を向ける価値が大いにあるのではないだろうか。

ここに泊まるには二、三年はかかり十年先の予約まで入っているとの事。地ビールを注文したらラベルが面白い、死んだ馬のビールだ。スタンリーは元気な馬もあると言う。それなりのいわれがあるんだろうが、死んだ馬とは−。帰りはバーモント州に入り家具を作っているブライアンさんの所を訪ねた。小さな家具屋さんだがそこで日本人に会った。こんな広いアメリカで日本人に会うとは。中島さんという宮大工で日本建築を教えに来て居られ、セミナーの模型が完成間近だった。中島さんは大学でも日本建築の講義を何回もされている。ブライアンさんは日本のノミ、鉋、鋸を使っていて、鉋は私の作った物だったので嬉しくなって調子を聞くとOKと言う。一年前に新築した住宅に案内され木造でみんな無垢、木の豊富な事を感じた。家族全員と和やかなひとときを過ごすことが出来た。

なお、次のページに猪本さんが仕事場で仕事をしている写真があります。
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