刃物の見分け方

岩崎航介さんは昭和三十七年十一月に癌の手術をされて四十二年に他界されていますが、亡くなられる直前の四十一年に三条金物青年会主催の講演会で、病身を押して講演をして下さいまして、私もこの講演会に出席して直接お話をお聞きしています。
お亡くなりになってから、この講演を記念して「刃物の見方」という題名で、それまでの岩崎航介さんが他に発表された記事などを収録したご本が三条金物青年会によって発行されました。
このご本に述べられている、刃物は使わなくとも顕微鏡で検査をするだけで切味が解るなどの詳しい記述は日本中の刃物メーカーや研究家に衝撃を与えたもので、今ではそれが刃物鑑定の基準になっていると思われます。

このページは、その講演の記録を集録したものです。
                                                                                          岩崎航介
   まえがき

私は多年第一線に働いて居られる若い皆さんに、一度で良いからお話したいと思って居りました。
幸いに幹事の皆様のお骨折りで、今晩其のチャンスを与えられた事を非常に嬉しく思って居ります。
私が三条の刃物を何とかして、世界一の刃物にして、ウンと外国に売り拡めてみたいという夢を持ちましたのは、四十五年前の大正十一年で御座いました。其の夢は残念乍ら未だ実現せず、徒に小さな工場で苦労して居るに過ぎません。
此の長い年月の間に色々と経験しました事を基礎にして、刃物の鑑定方法を中心にしてそれに両脇に尾ひれをつけまして、最後にスライド写真で刃物の分子の状態を二、三枚写し、それから御質問を承ります。
会場の隅に加藤重利さんの処と大久保さん、淵岡砥石さんから借りて来ました顕微鏡五台、品物も五点で善悪様々の物を持って来ましたので、御質問が終わりましてから、時間のある方は、一つずつ順に説明を読み乍ら、のぞいて行って戴きます。こういう計画で御座います。

恐るべき小売屋

刃物の販売について面白い話を今年の六月に聞いたのです。広島に菊菅さんと云う大きな刃物の小売屋がございます。大阪から西の方で最高の売上げをして居るのです。いつ行きましても必ずお客様が何人か入っておられます。刃物の小売屋でこんなにお客の入る店を、私は今まで見た事がありません。東京へ参りましても、広島の菊菅さん程、客の入っている店は無いのです。その社長さんが三条に来られたので、
「貴方の所へ、三条から随分沢山の若いセールスマンが、売り込みに行くでしようナ。」と聞いたところ、「エー、もうもう沢山いらっしゃいます。」お出になると社長さんは必ず聞くそうです。
「一番自信のある刃物は何で御座いますか。」
「コレコレです。」
と答えて見本を出される。
「是れは鋼は何鋼を使って居られますか。」
「安来鋼を使って居ります。」
「安来鋼には青紙、白紙と黄紙があるそうですが、どの種類の物で御座いますか。」
「私の所は青紙を使って居ります。」
「左様ですか。青紙には一号と二号がありますが、どちらですか。」
「イヤ、そこまでは知りません。」
そうすると菊菅の社長さんは言うのです。
「私共はそこまで御存知ない方の
刃物を、安心してお客様に売る訳にはいきません。どうぞお引取り願いたいのです。」 シャットアウトなんです。成程ナ、此の旦那、恐しい事を聞くなと思って感服した事があります。二、三年前でした。三の町の広孫さんの所へ参りました時、御主人が、次の様な話をされました。大阪に大きな鋸の卸屋がある。そこへ今度行ったら、自分の所から買った鋸をズラリと並べて、一つ々々調べた硬さが書いてある。そこの大将の云うには「広孫さん、御宅は何故こんな軟らかい鋸が、一番高いのですか。硬い鋸こそ手間を食うから高いと思うのに、最も軟らかい鋸が高いとは。コレはウンと値引きして貰わねばならない。安い中にグンと硬いのがある。これはどういう訳ですか。」
広孫商店では、取扱っている鋸全部の硬さを計った事がないんです。所が御顧客である大問屋がそれを計ったのです。此の交渉には参って了った。何とか話をつけたんでしょう。帰って来られてから鋸メーカーを呼んで、「貴方の所の鋸は、こんなに廿い癖して何故値段が高いのですか。」
一方硬くて安い鋸を造っている人には、「お前さんの所の物は、硬くて安いといって非常に褒められた。」
するとメーカーは、「自分はいつか判るだろうと思って、硬い鋸を造って苦労してやって来ました。やっと今回それを認められた。値上げして貰うよりも苦心が判ったと云う事が何より嬉しい。」
と云って帰られた。
こうなりますと、刃物を売ろうとする場合、敵はね、鋼を知って居たり、硬さを計ったりするのです。こちらから売り込みに行く方は、それを知らん訳です。これじゃ商売で勝てる訳がありません。

イギリスのセールスマン

東京に河野弥一と云う散髪鋏の日本一の名人が居りました。大量生産をやりました。戦争前は朝鮮・満州から香港・シンガポール・インドネシア等、東南アジアに広く売っていました。メーカーであると共に、非常に商売の上手な方でしたが、亡くなられる三年程前にお会いしてお話を聞きました。
弥一さんの所では大正年間から昭和の初期にかけて、英国から地鉄に鋼を貼った材料を買って使っていた。最近では三条でも、地鉄に鋼を貼った物を越前武生、播州小野市、大阪方面等から複合鋼板と名付けて買っています。それが今から四、五十年前英国から、日本へ売り込んで来ていたのです。勿論その時代には三条へは入って来て居りませんでした。それを買って散髪鋏を造った所、誠に具合いがよい。併し時々切味の悪いものが出るので、取扱った貿易商へ文句を云ってやったら、或日、製造元からイギリス人がやって来ました。そうしてあゝやれ、こうやれと技術上の指導をするのです。余りにも詳しい。その人の云うとおりにやると良い物が出来るのです。それで感服しながら、弥一さんが聞いたのです。
「貴方は技術家として、何年位御経験があるのですか。」
「私は技術家ではありませんよ。学校は経済の方をやったセールスマンです。」
「それにしちゃ、貴方は、鋼の処理方法を良く知っていますね。」
「英国では勉強させて試験をします。試験に及第しなけれぱ、東洋へのセールスマンとして派遣しません。」
会社で試験をするのです。此のやり方は全く驚いて了ったと、河野弥一老人が云って居りました。英吉利の組織を見ると、金物屋は番頭さんを金物の学校へ通わせます。バケツの講義の時は、バケツ製造会社の社長が来る。鉋の講義になると、鉋会社長が来る。ドライバーの場合は、ドライバーのメーカーが先生になります。而して或一定の講義を受けると試験をする。試験に及第した人は、小売店の店頭に立って、御客様に品物を販売する事を許します。落第した者は店へ立つ事を許されません。
皆様がセールスマンとして、出張に出られる時、一体三条では如何なる試験をするであろうか。実力がスタートから違うんです。
こちらは大した勉強しなくも年功序列二十一歳になれば誰でもかまわず、順繰りにトコロテンの様に旅へ押し出して行く。旅のお客様は困る。使う素人は刃物を知りません。それをね、何故これは高いのか、何故これは安いのか、こう云う説明をするのが小売屋さんです。その小売屋さんメーカーに会ってないから知らんのです。小売屋さんに説明するのが三条の出張員であるべき筈なんです。その出張員が、以上の様に知識が無いときたら、是は憐れな話です。却々巧くは商売が発展しない訳です。

鉋の検査法

或時私の所へ金物屋の番頭さんが来られて、「どうも鉋って奴は曲物だ。折角売り込んだと思うと間もなく返品してくる。大きなカケを出して、取換えて貰いたい。鉋位い嫌いな商品は無い。何とか判る方法は無いものか。」
「それは判る。顕微鏡を使って鋼の分子を見れば、鍛練即ち火造りの時の温度と叩き方が適当かどうかがちゃんと判る。焼入れ温度が丁度良いかどうか。顕微鏡で見れば百発百中です。あとは硬さを計ればよい。ロックウェル硬度計のCスケールで見ればよい。そういう風にして硬さを計って、廿い奴をはねる。分子の荒っぽい奴ははねる。あとは肉眼検査でわかりましよう。そういう風にすれば絶対返品はない。若し返品があれば大工さんの研ぎ方が悪いか、使い方が悪いかどちらかです。釘に引掛けたり、裏出しをする為に表の方から玄翁で、無茶に叩いたりしたもので、これは見れば判ります。そういうものはメーカーの責任でない。大工さんの失敗だと云って、新品と換えずに、研ぎ直してやれば良い。」と語った所、
「済まんけれども、金を出すから、それを検査した検査帳をつけて下さい。顕微鏡で見た結果、鍛練による分子の大きさは及第した。焼入れの分子は誠に適当である。硬さはいくらいくらで、刃は大体硬向きだとか、甘向きだとか、こういうことを小さい紙に書いてお前さんの判子を押して呉れ。」
「よろしい、そうして上げよう。」
という事で、判を捺してやった。誰が頼んだかと云うと、三条の人では御座いません。 播州は小野の金物屋の番頭さんなんです。今から十一年前の事でした。そうして三条から私に証明させた鉋を三条の金物屋の番頭さんがね、十一年前にそれを頼んで呉れたのなら万歳なんです。
播州の人なんですから、誠に残念な話です。
それを聞いて、私の弟が三条金物株式会社に居ったのですが、吃驚しまして、三条に於ける実験「兄き、私の所にある一番高い鉋を調べて呉れんか。鉋という物は、売って代金をとった頃返って来るんだ。鑿は多少欠けても、これは一寸乱暴して叩いたからだ、と云って大工さんは我慢するが、鉋だけはどういうものか、直ぐ返品。メーカーの方へしわ寄せされる。大きな商店ではあれを嫌がる。」
それで調べて呉れと云って在庫品を二百枚程持って来ました。高級品です。一枚一枚顕微鏡で見ました所、不良品が三割です。六十枚は必ず欠けるのです。ビックリして、皆番号を打って良い物だけをお客様に売ったんです。何処の御店へ何番を売ったかを帳面に書いておきました。結果如何にと待ったのです。返品される品がないので驚いて、
「科学的のやり方って正確なものだ。」
と、認識を新たにしました。そうして其の鉋を造った人に、
「兄きの所で検査して貰って呉れ、及第した鉋だけを買うから」
と云った所、此の鉋鍛冶なかなか立派な人で、
「よし、やって見ましょう。」
と云って、出来上がったものを夜、持って来るのです。顕微鏡で見まして、点数をつけ、是は及第、アレは落第と区別しました。いつも何枚かの落第品が出るのです。そうすると、技倆の良いメーカーは考え込むのです。

「同じに造った筈なのに、どうしてこう差違が出るのだろう。」 毎回悪い品がいくらかずつ混って来るのです。下手の人が造ると全部だめですね。及第品一枚もなしです。不思議なものです。私はメーカーに、
「貴方は同じに造ったと思っても、それは思っただけで、実際は違うんです。違うからこう云う結果が出てくる。」
「どこでこんな差が出るんだろう。」
「それは鉋に聞いて見るがよい。又造っていらっしゃい。」
家族は心配します。今日は何枚落ちたかと聞きます。二枚落第すれば、何百円、三枚落ちたらばいくら損だという訳で、毎日の結果を家中で首を長くして待っているのです。そうやっているうちに、此の人は良い物を造る秘密を次々と見つけ出し、落第品が次第に減ってきました。約一年半程経ちましたら、どれを持って来ても全部及第なんです。
「もう貴方の鉋を検査する必要がありません。全部及第だから三金へ電話しましょう。」 と云いました。御自分は同時に顕微鏡を買いまして、造っては見、焼入れしてはのぞきして、今では不良品はどうすれば出るかを此の人は百も承知という所まで来ました。

金切鋏の改善

同じ様な手で弟は、トタン板を切る金切鋏に手をつけました。是は東京出来に対して、三条物はかなわないのです。
気の強いメーカーですが、此の人に、
「顕微鏡検査をして及第するものを造ったら、今の値段の倍で買ってあげるから、あそこへ持って行って検査して貰わないか。」
倍になれば占めたものです。少しは落第しても、倍に買って貰えば儲かると思って、持って来られました。検査してみると、半分位落第です。何回持って来ても落第品が混るのです。サァ考えちゃったんですナ。
「コレは一体どうすれば良いのだ。」
とお聞きになりましたので、次の様に答えました。
「実験を何回もやれば自らわかります。」
実は私は今迄の経験で、メーカーにこうやって、こうすれば出来ると教える事は禁物だと云う事を知っています。何処が禁物かと云うと、簡単に教えますと、それ以外のコッチの方に、秘伝があると思うんです。やってみて巧く出来ないと、必ず失敗する方の道へドンドン入って行って、教えられた秘伝を使わないものなんです。人間というものは妙なものでして、結局は生涯かゝっても、悪い方の藪へ入つて、再び秘伝の方へ戻って来ません。
それ故、直ぐには教えずに、それを黙って見ていて、「マア研究なさい、研究なさい。」と云っているうちに、自分で色々の事をやってみて、自分の知っている方法を全部やってみると、中に成功するものがある。それを指して、
「こゝに秘伝があるのです。よく見つけました。これが第一の関門で初伝と云ゝましようか、まだいくつもあるんです。順々に発見して下さい。」
やっているうちに又引掛る。それを実験していく。此の人は二年位かゝり、遂に約束どおり倍値で売りました。
今では倍以上で、東京の金切鋏と同じ位の値段になって了いました。それでも注文殺到で造り切れん程です。

哀れな話

中にはメーカーだけが来まして、一番良い物を造るんだと云うのです。品物は脇鉋でした。三条小鍛冶さんでした二年位四、五人で通っておいでになり、相当美事なものを造られたのです。
お目出度いと思ったのですが、あとで聞いてみると、問屋さんが、品物は良いかも知らんが、値段が高いから買わないと云うんです。今日未だ売れてないでしょうな。頭の良い方居られたら三条小鍛冶さんの所へ行って造らして、売ってご覧なさい。それはもう、日本一最高の切味の脇鉋です。これは私が今までお世話した一番気の毒なお方です。
これは要するに、売る所の番頭さんが、値段だけしか知らんという事なんです。こいつは併し、一番早く判りますね。百円の品物は、九十円の品物より十円高いと云うんだから、誰にでも判る。だから値段しか考えないのです。
或る鑿鍛冶が非常に苦労して優秀な鑿を造っているのですが、
「イヤ、かなわんですよ。番頭さんが来られても、鋼の事は何も知らんし、火造りの時の熱のかけ方の苦労なんぞ、話した所でわからんし、焼入れ、焼戻しの秘密なんぞ全く興味がない。誰でもわかるのは値段ばっかりで、負けろ、負けろと云うのみです。全く張合いの無い話です。」
この張合いの無い思いを鍛冶屋さんにさせて居るのは問屋さんの番頭さん達なんです。
だから、私はこういう方々が事業を拡大し、三条の産業を盛んにしようとして居られる事は認めますが、それをやる為に一日も早く、こうした事実を申し上げて、どうやって刃物というものを鑑定すべきかを知って貰いたかったのです。皆さんがそういう知識を持たれて、そうして苦心しているメーカーと提携して下されば、商品は必ず伸びるんです。絶対負けっこない。優秀品ですものね。多少値段が高くなるのは、これは決まっています。
良くて安い物はないもんですナ。
所が値段だけしか判らんもんですから、安いもの、安いものと云って行くでしょう。
「負けろ、負けろ」と云う。メーカーの方では余り負けろと云われるものですから、鋼を変えちゃって、悪い鋼を用います。まだ負けろと云われると、仕上げで手を抜きます。 小鋏が代表的な商品です。段々「負けろ負け」ろと云われ、益々負けて来たが、品質は益々悪くなって来た。
今月東京へお出になって、三越前の木屋商社へ行ってご覧なさい。小鋏一丁二百五十円というのは、播州は小野産の鋏です。
三条の鋏は何処にある。一番下の棚に五十円位の値段で並んで居ります。誰がこういう風に三条の小鋏を粗悪なものにしたか。メーカーに三割の罪、問屋の番頭さんに七割の罪があるのです。
雑誌「暮しの手帳」をご覧なさい。鋏の事が出ています。是は小野の鋏鍛冶の話を中心にして、三条の鋏鍛冶の事は一人もその中には出て居りません。
そういう風な具合で、只負けろ、負けろで値段の競争だけで進んで行けば、遂に惨めなものになり、小鋏は雑貨に落ちて了います。これは三条だけでないんです。
三木と小野へ参りますと日本剃刃を造っています。終戦後七十二軒で造って居りました。
そこへ、例によって金物屋の番頭さんが行って「負けろ、負けろ」と云うものですから、段々負けちゃったんです。負ける代わりに品質も段々負けてきて切れない日本剃刃を販売したのです。一方では安全剃刀に攻められ、片方では西洋剃刀に圧迫され、今度は電気剃刀に攻撃され、三方から攻め立てられて、今では剃刀鍛冶は僅かに六軒になりました。
その六軒で造っている剃刀も優良品とは申されません。
三条の小鋏、三木の日本剃刀、これは問屋さんの番頭さんが製品を悪くした東西の代表的なものです。
そういう点で、物を売る皆様には特別にご注意を願いたい。
良いものを良いものとして、高く売って貰いたい。安いものは安いものとして売って貰いたい。
即ち高い物、中等の物、安物とどの種類のものでも揃えておくという事が、産地問屋の強みだと思います。安くなければ買えないという階層の人も居ります。そうした人達の為には、安い物を出さざるを得ないものです。
従って鋳物のラシャ切鋏などは、貧乏な東南アジアでは大歓迎です。金が無くて高い物を買えないのです。斯くして、上・中・下の物が必要なのに、上の物をなくして、全部並物にして了ったら、之はもう問屋さんの罪、甚だ大と云わざるを得ない。之を防ぐには矢張り相当の勉強をして貰わねばならない。

安物と高級品

或る時、栃木県宇都宮市新井銅鉄店へ、東京の刃物問屋の社長さんが鉋を、売り込みに行っておられました。そこへ若い大工さんが来て、この鉋は刃が大欠けするから取り替えて欲しいと言ったのです。
ひよいと見たら其の人の納入したのでした。そうしたら社長さんね、
「砥石はありませんか。」
と金物屋さんの砥石を借りて、研ぎ直しました。美事に研ぎ上げたのです。
「少し研ぎに欠点がありました。此のママ御使い下さい。」
と云って渡したのです。後日大工さんが新井銅鉄店へ来て、とても切れると大満足だった相です。これでスッカリ信用したお店では、他の問屋から仕入れて居られた鉋をやめて、全部右の社長の所へ注文された相です。
此の社長さんは東京の神田のロケット刃物の小黒菊太郎さんです。
先年三条へ来られて、取引してから何十年になりましたから、どうぞお出で下さいと、多数の金物屋を招いて盛大な感謝の宴会を催しされました。これはご本人から直接お聞きしたのです。
さて皆様にお聞きしますが、小黒さんの様に若い下手な大工さんよりは上手に、鉋を研ぎ削って見せ得る方が、止の中に何人居られますか、それ等を考える上、三条のセールスマンは穴だらけです。さっぱり商品の勉強をして居られない。併し金は儲けたいんだナ。これは駄目ですヨ。準備なしに、努力しないで銭を蓄めようというんだから、是は図太いね。巧くゆきません。況んや海外ヘ出て行って、ドイツの商品と競争しようとしても、とてもソンナ事でうまく行きません。どうしても安物しか売れない。だから外国ヘ売れるなんて云って喜んでいても、調べて見るとガッカリします。高級品を売つている所に並んでないのです。数は余計出るけれども、非常に安く売られている。映画なんか見ると、ナイフが曲がったら、「日本製だから曲がった。」
と俳優に言わせるのです。それは曲がりますね。洋食器のナィフなどドロップハンマーでドンと叩いてやっているんだ。硬い鋼ではない。あゝいう風の物がジャンジャン輸出されるが残念な話です。三条でも大分海外へ出ると、喜んでいらっしゃるけれども、さて海外で、どれ位に売れているかを調べて見ると、値段はドイツ品の二分の一から三分の一です。瑞典製は、ドイツ品の二・三倍で売れているのです。瑞典人に会ったら、
「あゝドイツ品ですか、あれは安物です。」
日本人はドィツ品に対して、大したものだと尊敬しているのに、瑞典人はドイツ品の二倍に売っている。まだ上が居る訳です。それ位差があるのです。日本品なんて云うのは低い方です。併し有難い事に下の方に香港製だの台湾製だの朝鮮製、インド製などと云う物凄いのが出て来ました。コレは値段の点では燕といえども、三条といえども、刃が立たん様です。ヨー口ッパではイタリアが安物を出します。洋鋏などは、日本の鋏のね三分の二です。こんな事を聞くと、ガッカリします。大体文化程度の低い国が安物を造る。当然ですね、よい物を造れと云っても、造る方法を知らんものね。
「銭を沢山出すから、よい物を造れ。」
と注文する人が時々ありますけれども、何処に手をつけて良いか判らんものですから、仕方なしに、四方八方を磨きまして、「総磨きで御座います。」
どうなりますか、こんな事で銭をいくら出しても、優秀な鉋を造れない人も居ります。今は少し違います。熱心家が出て来て相当によい物を造って居ります。
併し一方では前に私の云った様に、値段の競争で段々悪い物を造っている。ステンレスの庖丁がその運命を辿って居ります。何しろ安い方が売り易いから、小売屋も売り易い方を歓迎するので、ジャンジャン安物を造る、とうとう三条のステンレスは切れない、息の方が切れる。よくよく調べたら安く安くと来るので、鋼の悪いもの、即ち軟らかい物を使う様になった、軟らかいステンレスを使って何で切れましょう。そういう状態なんです。これでは困ります。

一方では非常に高い物を造って居る所がある。東京の木屋商店では、小売値一挺千円近いステンレスの庖丁を売って居ります。何鋼を使っているかと思ったら、奥太利のショーラー・フェニックスの鋼を使っています。是に此べて三条での最高のステンレスは小売りでいくらですか、五百円で売っているものは一挺もありません。そう云う安い物で、素晴しい切味の物が欲しいと云っても、是は出来っこありません。
どういう訳で木屋商店は、ショーラー・フェニックスの鋼を使って、千円近い庖丁を造っているかを調べた事があります。矢張り切味を中心にして、値段が高くとも切味のよい物が欲しいとい云うお客の要望があるからなのです。だから自分はフェニックス社の鋼を選んだと云うのです。よく聞いたら木屋商店の二男さんは早大理工学部の金属学課を卒業して居るのです。何もかにも判るのです。そういう知識があるから、切れないステンレスを排撃して、値段が高くとも切れるステンレスの庖丁を造ったのです。

スェーデンでは今から十五年位前に、既にステンレスの安全剃刀を発売していました。ステンレスの安全剃刀製造で、世界中で一番早いのは、スェーデンで御座います。今では日木でも資生堂のポァンとか、フェザー等、ステンレスの安全剃刀が出て居ります。外国では英国のウィルキンソンもありますし、米国のジレットもあります。併し最初に造ったのはスェーデンで流石に世界一の鋼の国です。
スェーデンの或会社のカタログを持って来て、どんなステンレス鋼を、刃物鋼にしているかを調べました。その前に安来鋼を一応見る必要があります。表を見て下さい。安来鋼に銀紙三号というのが、出ています。是は炭素が非常に多く、○・九五〜一・一〇%と出ています。他にクロームが何パーセントと書いてありますが、これだけの炭素にクロームを入れて造りますと、焼入れをしたあと錆び易いのです。ステンレスで困った事は焼入れして硬くすると、錆びるという性質を持っております。それで仕方なしに承知の上で、軟らかいステンレスで庖丁を造って居たのです。
所がスェーデンでは炭素量一・一%入れておいて、而も焼入れしても錆びない鋼を造りました。何が入って居るかと思ったら、コバルトを入れて居るのです。コバルトというのはタングステンよりもまた値段が高い。非常に高価の特殊成分をステンレスの中に入れまして、他に若干のバナジウムを加えているのです。此のカタログを私が見ましたのは、昭和二十六年今から十五年程前でした。

吾々が三条で優秀なステンレスの庖丁を造ろうと思ったら、コバルトの入っているスェーデンの鋼を買う他ない。それでは残念ですので、昨年私は燕の明道金属株式会社の社長さんに頼んで、炭素量一・一%にコバルトを入れたステンレスを試作して貰いました。それを圧延した板から、下村工業さんで庖丁を作って貰いました。七挺だけ出来上がったのは、今から二ケ月前でした。遅いものです。之を問屋さんの所へ届けて一ケ月ずつ切味試験をして貰って居ります。一ケ月使うと受取りにゆき、別のを渡して再び試験をして貰います。刃の角度が問題になりますので、角度を色々変えて、七挺をグルグル廻して研究中です。是は下村工茉株式会社を中心にした長期に亘る切味の耐久力実験で御座います。完成すると切味の良いステンレスの庖丁が生まれるかも知れません。

安来鋼の中の銀紙三号は、炭素値とクロム量しかカタログには出ていません。他の特殊成分は発表してないのです。それを発表すると直ぐ他の会社が真似して困ると云って居りました。
ステンレスの庖丁に対して、安い物だけを狙わずに、右の様な高い材料を使って、上等品も売り出す様にして貰いたいと思います。
値段を叩くのは一番下級品だけを叩くのがよい。上等品は値段を叩かずに物を造って金を沢山出して貰えば、遂にはアメリカの市場へ行ってドイツ品と一騎討ち出来るものが、生まれて来る筈です。どうかそういう風に考え乍ら進んで欲しいものです。
(14/11/09・つづく)

十万円の鉋

それでね、刃物という物の鑑定の一番大事な所は、七割占めているのは何だと云うと、鋼なんです。
鋼の何を使って居るかと云う事は、刃物の善悪を決定する一番重要な要素です。
東京に千代鶴是秀(これひで)という名人が居ました。八十四歳で先年亡くなりました。此の人は大したものを造っていました。鉋一枚四万円です。併し亡くなる前三、四年間、一枚も造らないと云って居られました。鉋を持っている商店では、非売品にして、ショウウインドに飾り、そこへ説明書をつけて、千代鶴是秀翁昭和何年の作と大切に陳列して居りました。大工さんはそれを眺めて、よだれを流すのです。絶対に売りません。
私がお会いして、色々教えて貰った時、
「あたしはね、鉋一枚造るのは、十日以上かかります。」
「どうしてそんなにかかのですか。」
「あたしは鋼を伸びるな、伸びるなと云って叩きます。越後のお方は伸びろ伸びろ、と云って叩く。だから一日に五枚も十枚も出来るのです。私は鉋の平を叩くが、コバは叩きません。」
「どういう訳でこばを叩かないのですか。」
「こばを叩くと、鋼の繊維が乱れます。」
「では平を叩いて、幅が広くなったらどうしますか。」
「銑と鑢で削ります。」
大変な手間をかけるので一枚四万円になるのでしょう。
秩父宮様に献上した登山ナイフは、六十日かかって造り上げたと語って居られました。そう云う名人でした。
此の人が亡くなってから、東京の木屋商店で、この鉋を飾ったのです。そこへ一人の紳士が来て、値段を聞きました。若い店員が、非売品ではあるが、ウント高い値をつけて驚かせてやろうと思ったのでしょう。
「十万円です。」
紳土は少しも驚かず、
「買いましょう。」
と云って代金を出したのです。
店員は十万円なら、売ってもよいと思ったのでしょう、之を渡しました、あとでこれを知った社長はビックリして、たとえ二十万円でも売る物ではなかった、二度と手に入らない宝物だったのにと残念がる。買った人は誰方だろうと、色々調べた結果、土建業の大物、間組の社長である事が判った。早速木屋商店の代表が、間組を訪ねて、社長に干代鶴是秀の鉋の由来を語り、
「将来若し人手に渡す様な事があるなら、是非私共の所へ売って貰いたい。」
と懇願したのです。私は此の話を木屋商店の常務加藤俊男さんから、直接に聞いたのです。
又ある時研究の為に訪問した折、鋼は国産では何を使って居られるかと質問した時、
「国産の鋼は使いません。何十回も見本が届けられて来ますが、まだ一度も使った事がありません。」
「何故使わんのですか。」
「切味が悪いからです。」
これ一言。国産の鋼を生涯一度も使わないのです。私は吃驚しました。何故使わんのだろうか。音に聞こえた有名な鋼が御座いますのにね、千代鶴さんは数十年来、日本産の鋼を使わんのです。一体これは何処に原因があるのか。

曲がらない刺身庖丁

新潟市に長島宗則という、下駄屋道具の名人が居ります。清房-清宗-宗則と続いております。此の人に対して私が驚いたのは、曲がらない刺身庖丁を造る点です。皆様は刺身庖丁を仕入れる時、曲がりを調べましょう。どの庖丁も刃の所は真直です。曲がらない庖丁と云っても奇妙でしょう。
併しそれを買ってね、三年以上経ってから、板前の所か、鮨屋へ行って、お売りになった庖丁を見て下さい。必ず鋼の側に曲がって居ります。宗則の庖丁は三年使っても、四年使っても曲がらないのです。造ったばかりの新品が曲がってないのは、こんなのは当たり前です。三年、五年と使って曲がらない刺身庖丁を造る人が、三条に居られるか。居たら御目にかかりたい、どうぞ皆様が三、四年前にお売りになった庖丁を調べて見て下さい。長松さんへ行って板前の庖丁を見て下さい。皆曲がっています。それを曲がらない刺身庖丁を造ると云うんですから、是は唯者でありませんナ。それは名人なのです。
此の時の話では、某製鋼所の鋼でも昭和十年と十一年に造られた鋼が、特別によい。あとのは駄目だというんです。八釜しい註文が来ると、蔵っておいた十年と十一年製の鋼を取り出して来て造る。此の事をその会社の技師に話した所、その鋼を少し送って呉れと云うんで、送ってやった。答えて日く、
「分析して見た所、現在の物と全く同じで御座います。」
併し全く同じ物をね、宗則程の名人が特別註文の時だけに使うという事は、かくれも無い事実なんです。此の時鋼会社の技帥の云う事を信ずるか、刃物の名人宗則の言葉を信用するか、私は名人の云う事を尊しとするものです。製鋼所の技師は刃物を造った事がないのです。分析した結果が同じだからと云われても、これには科学者の気付かない何かの原因がある。

東京の名人千代鶴是秀が生涯国産の鋼を使わなかったという事は、屹度国産の鋼に、人の気付かない、何等かの欠点がある為と思われるのです。私はそれを調べたいと考えて、何年もかかって研究しているうちに、幸い発見したのです。或欠点の為に長切れする刃物が出来ない事が判りました。
早速その某製鋼所の懇意な技師に、その旨知らせました。勿論千代鶴や宗則の話もつけ加えました。併し多年苦心して開発されただけに、大きな自信のある技師は、直ぐには耳を傾けません。
「そんな文句を云うのは、お前さん一人だ。他の人は皆喜んで使って下さる。」
と云うのです。その上悪い事に、私は二百キロか、三百キロしか註文しない、零細企業でしょう。私からの申し立ては、問題にしないんですヨ。私はその会社の鋼で造った剃刀を持って行って、此の欠点だと、持参の顕微鏡で見せるんだけれども、承認して呉れません。当時刃物を顕微鏡で調べる科学者は、私一人しかいないのです。
私より他に文句を云う事の出来る人が居らんのだから、私の云う文句というものは、是は大事にして貰わなければならんと云うが、大事にしません。いつまで経っても直して呉れんのです。
所へ援軍が出て来たのです。日産自動車からです。同社の研究所の幹部の樋山慎治という人が研究したのです。
日産はね一単位で三千万円位の鋼を買うのです。バーンと買う。大旦那です。そこの研究所の大幹部が、その某製鋼所の鋼にこう云う欠点がある。私と同じ事を云うのです。こちらは喜びましてね。
どんなに正しい意見でも、僅か二百キロのお客様では、コレはダメなものですナ。いい意見を出しても通らんものです。矢張り余計買わにゃいかんね。そう云う所に何か盲点がある様な気が致します。
その日産自動車の樋山さんは有難い事に、三条出身なのです。二の町村松屋小路に樋山という家があるでしょう。あそこのオッ様なのです。此の間も第何回目かの欧米視察をして来て、最近帰って来られ、今日その通知が来ました。彼が私と同じ結論になってね、その会社に話したのです。

こうなると製鋼所でも、これは大変だという事で、日産様からそう云われちゃ、直ちに改良しなければならぬと云って、鋼の造り方に大改良を加え始めました。千代鶴さんが生きていれば今度は使うかも知れません。という様な気がするんです。
そう云う具合いに、鋼を選ぶ眼力というものは、刃物鍛冶にとって最高の「ウデ」なのです。どの鋼を使うか、どんな試験をするかという事が大問題なのです。ですから皆様方が刃物のメーカーの所へ行って勉強なさる時、先ず第一に如何なる鋼を使うかを聞いて、何故それを使うかというのを、ドシドシ聞いて下さい。出来れば昼間を避けてね、昼間は相手が仕事をしていますから、夜とか、休みの時間とか、或は休日に行って、鋼の話をきいて貰いたいんです。
そこで得た知識を持って行って、小売屋で説明して貰いたい。そうでなければ高いのと安いので、何処が違うという事が判らんものね。判れば小売屋さんも其のとおり説明するから、御客様も高くて長持ちする方を買って下さる。
鋼が第一に問題になって来る。ですから新潟の長島宗則さんの様に、昭和十年と十一年の物がよい。と分かる名人も居られる。段々調べたら、十年度十一年度の製鋼法と、戦後の製鋼法が違っているのです。その十年度十一年度は工藤治人(はると)博士が、現場に入って指導された最高の鋼だった。唯分析表だけ見て、鋼は判るものじゃ無いのです。
此の他に幾つもの要素が物を言うのです。初めのうちはこの表をたよりにして、是はいい鋼だとか悪い鋼だと云わざるを得ませんが、次第に奥に入ると、今度は、酸素はいくら入っているんだ、窒素はいくら入っているんだということを問題にすようになります。窒素は百万分の一と百万分の二では鋼が違ってますからね。

砂気について

それから砂気と云うのがあるんです、鋼を奇麗に磨いて何もつけずに、顕微鏡で御覧になりますと、胡麻粒の様な黒い砂気が入って居ります。どの鋼を見ても必ず入って居ります。こんな混じり気のない鋼か欲しいと云って金のわらじをはいて探しに行ってもありません。スェーデンへ行ってもありません。
ドイツヘ行ってもないのです。何処の国の鋼であっても、ドンナに優秀の鋼でも、中に必ず砂気が入っているのです。この砂気を全部とる方法は、現代の科学には無いのです。皆様は鋼の表面を見られるとビカピカ光って居るから胡麻粒の様な、黒い物が入っているとは、夢にもに考えては居られないでしょう。併し完全に磨いて顕微鏡でヒョイと見ると、中には豆位の様なものだの、時には紐の様に細長い妙なものが入って居ります。之をどうして少なくするかで、世界中の鋼の専門家がねじりはち巻きなんです。水と違って鋼は熔けましてもさらさらしませんので、砂気は全部が全部浮いて呉れません、それは鉱石から入るし、屑鉄からも入ります。熔かしているカマは耐火煉瓦で出来ています。熔かいして居るうちに、煉瓦の砂がはずれて鋼に入ります。それらの物の中には熔解しても、浮かんで来ない物もあるのです。
大きいものが入っていると、段々研ぐに従って刃先へ出ます。するとポロッと欠けます。鋼の分子が細いとか荒いというのは問題外です。そういう砂気の大きいのが入っていますと、必ず刃物は長切れしないのです。

砂気の一番少ない鋼、酸素や水素や窒素の少ない鋼それに燐と硫黄の少ない鋼に対して、刃物鍛冶は各人の知識の程度に応じまして、苦労して鋼を選ぶのです。同じく安来鋼の青紙一号を使うとして、分析表を見ます。丁寧に見て此の成分なら、一釜分全部買うと五年分位をポンと買う人も居るんですヨ。そういうメーカーの苦心というものを、番頭さんなり、若主人の皆様が、よく聞いてやって下さい。その苦心を御苦労、御苦労という気持で、ノートに取って貰い度い。そうすれば広島市の有名な刃物店へ売りに行っても、鮮かに私の所は青紙の二号を使っていますと、ピシャッと云えるのです。そうすると向こうは、其の上又色々と質問して来ますヨ。科学的の質問をたゝみかけて来ます。と云うのは広島の刃物店では、逸早く金属顕微鏡を買い、それで仕入れた刃物を全部調べて居るのですから、たまった物でありません。そうやって高いか安いかを調べる。硬度計は持っていますし、鋼の知識はある。そうやって知識を増してゆくから、お客様が殺到する。当然売れる訳です。知識の無い所へ、お客様は行く訳がないのです。

玉鋼の剃刀

私共は西洋剃刀を造っております。日本刀の原料の玉鋼を使って、剃刀を造っておりますが、世界剃刀中で一番よい刃物は日本刀なんです。是は誰しも認めますが、日本刀の製法を探して来て、それで刃物を造ればドイツ品以上の物、スェーデン品より切れる物が出来る筈なんです。そこを目指して私は到頭四十五年を費やしました。併しこんな事をやって日本刀の原料玉鋼から鍛えて行くとなると、手間を食って、大量生産になりません。皆様の様なセールスの巧い人が売りに行かれる、一年間の生産量を、一日で註文をとって来られる。吾々はそんな大量のものでは手も足も出ません。これじゃ企業になりません。何とかして玉鋼に匹敵する鋼を、大量生産によって造って貰ってそれが一定の寸法になって、二トンでも三トンでも出来るようにならなければ、如何に優秀なものでも、皆様方に売って下さいと、御願いする訳に行かんのです。
所がそうした鋼を造るメーカーの選択に対して吾々は苦労しつづけて居ります。今日も尚、その問題は解決して居りません。吾々は生意気で色々な事を知っているので註文の条件が難しいのです。砂気は成るべく細かくして少なくとか、マンガンがどうだとか、燐は減らして呉れと、色々の制限をするものですから鋼会社が嫌がって、そんな面倒なのは御免だ。ドチラ様もコストグウン(値段を下げよ)、コストダウン、安くしろ、安くしろと云うんだから、お前さんの様な面倒な注文は聞いていられないと云う。こういう有様で、却々思う様に行きません。
スェーデンヘ頼もうかと思って連絡したら、五十トン位註文して下さい。そうすれば試作しますというんです。
五十トンあったら私の所では五十年間使われます。トテモ今の所そういう手は打てない。こういう具合いで、鋼探しで先ず第一に苦労します。

鋼の焼入と切れ味

それで鋼の話へ入りますが、此の表を見て下さい。安来鋼の青紙と白紙と黄紙で御座います。
青紙と云うのが一番値段が高い。一番値段が高いから、一番切れる刃物が出来る。こう思う方が多いのですけれども、そうでありません。青紙よりも二割程値段の安い、その下の白紙で造った方が、切味がよろしいんです。こういう事を先ず覚えて欲しい。
併し乍ら白紙で最高の切味を出す所の刃物を造るという、其の技術は、青紙でもって最高の切味を出す人の二倍から三倍の苦心をしなければならない。だから研究の浅い方が、白紙で刃物を造ると、必ず不良品になって了う。研究の浅い人は青紙を使うべし。研究の進んだ人は白紙を使うべし。と云うのは、亡くなられた星野初弘(初代)さんは、晩年は青紙を使わなかったのです。あの人の鉋は白紙で御座います。亡くなられてから工場の方針が変わったらしいけれども初代の初弘はどういう訳か青紙を使わんのです。
「貴方は何故青紙を使わんのですか。」
と聞いたら、
「あれ、切味悪いもん。」
と云われました。其の頃私はまだ白紙の本質を知らなかったのです。何故青紙が値段が高いのに、白紙の方の切味がよいのか。段々調べて見たら青紙にタングステンが入って居るのです。タングステンは一トン三百万円位するのです。だから高いのです。併しタングステンが入って居る為に、長切れしないのです。こういう事実があるのです。加藤重利さんと一緒に、私の所へ鉋の研究に来られた、鍛冶町の五十嵐さんといふ方が、面白い事を云われました。青紙と白紙で鉋を造って欅(けやき)の渦を巻いた硬い所を削って見る。青紙は間もなく参って了う。最後迄切味の止まらんのが白紙でした。それで自分は白紙で作った鉋は、寸八で卸値千円以上で売っている。この値段となれば三条では最高の部に入ります。一昨年は一年間で三十枚売れました。去年は売れ行きが伸びて百枚になりましたと云う。四十一年の正月に来られて、今年は東京の或大工道具専門店から、一ケ月三十枚ずつ契約したい。一ケ年毎月それだけ納めて呉れと、三条の問屋を通じて申し込があった。お蔭で今年は三・四百枚になるでしょうと喜んでおられた。私は成程と思った。問屋出しが千円以上でも、東京の大工さんは、白紙の切味を認めて買って呉れるのです。

千代鶴是秀を襲名した三代目千代鶴(落合宇一さん)は、白紙と青紙で鉋を造り、切味試験をした結果、白紙の方が倍も長切れすると発表された事があります。
私共が剃刀を造っても判ります。白紙の方が切れるのです。所がです白紙の方は、鍛錬が難しくって、どうしてもポロ欠けする様な刃物になり勝ちです。それに焼入れが面倒でして、油なぞで焼入れすると雲が沢山出ます。
雲というのは刃物に光を当て、見ると、雲の様なものが刃物の表面に見えます。其の処は軟らかいのです。焼が完全に入っていない為です。ヤスキ製鋼所の説明書に依れば冷却剤として白紙には油か水と書いてありますけれども、油では焼が入りにくいです。私共の実験では油の中で焼入れをしてもうまく受けつけません。水でなければよい焼が入りません。
青紙の方は油でも水でも焼が入るのですが、白紙はそうでありません。水を使っても、鋼の出来具合いによっては、雲がついて、まん中に軟らかい部分が出る事があります。そういう性質を持って居ります。鋼というものは、優秀であればある程焼入れが面倒なのです。

日本刀の原料の玉鋼の如きに到っては、最も難しい。自信のある刃物鍛冶が、よく玉鋼を分けて呉れと云って来られます。分けて上げるんですが、焼入れの所で皆手を挙げて了います。切出小刀を造って、焼入れして見た人があるのです。仕上げて見ると、刃先から奥の方へ三分(九ミリ)位しか焼が入って居りません。奥の方は焼が入らんのです。乱れ焼になるのです。鋼の部分全体が、ピタッと焼が入るべきものを、刃縁だけしか焼が入りません。優秀な鋼は焼が入り難いという原則があるのです。それを上手に焼を入れるのが、ウデの出し所なんですナ。上手に焼の入ったものは、研ぐととても砥ぎ易い。ザクく、ザクくとおりるのです。その癖木にかけると、いくら使ってもビクともしないのです。焼は入りにくいけれども研ぎ易い。其の他赤めて金鎚で叩いて見ると、実によく伸びるのです。型打ち鍛造などをやったら、型はいたみはしません。よく潰れるのです。それを青紙なぞ持って来て型打ちをして御覧なさい。型の方がヘタバッテしまう。ダメです。

此の他に刃物鍛冶は、鑢掛りとか、或はセン掛けによって、鋼の善悪を調べるのです。鎚当たりがよくて、軟らかい感じで伸びがよく、鑢の掛りがよくて、センでよく削れるのを見て、これは優れた鋼だという鑑定法があるのです。どういう成分が入って来ると、そういう性質になるか、どんな熱処理でそうなるか、未だに不可解の所が御座います。スェーデンの鋼は実に伸びがよい。飴みたいですナ。焼を入れると、ピッとするのです。どういう訳か、理屈は判らんけれどもそう云う物があります。
日本の玉鋼は、赤熱して叩いて見ると、まるで地金(かね)の様に軟らかい。それでいて焼を入れると、ピンとします。
研ぐとサッとおりるのです。

鋼の中に研ぎにくい鋼と、研ぎ易い鋼があります。青紙は非常に研ぎにくい。そう云う研ぎにくい物は、大工さんとしては、却々刃がつかない。刃がつかないと此の鋼は硬いというんです。硬いんじゃないんですよ。研ぎにくいだけなんです。そんなら試しにシャベルを研いで御覧なさい。研げるもんじゃない。シャベル・.つるはし・鉄道のレール・ステンレスの刃物、くにゃりと曲がるくせに、砥石にかけると研げやしない。研ぎにくい性質と砥ぎやすい性質は鋼の種類によって決まっておるものです。それを大工さんは、却々研げないと、之を硬いと云います。硬さを機械にかけて測(はか)って見ると、案外に軟らかい物もあります、すべて鋼というものは炭素によって硬さが変わる。だから青紙一号の炭素量と、白紙一号の炭素量、黄紙一号の炭素量は同じです。焼を入れると此の三つは同じ硬さになる。それを青紙が特に硬くなり、黄紙がそれ程硬くならんと思うなら、大間違いです。硬さは全部同じです。
値段の差は何によるかと云いますと、青紙はタングステンが入っているので高い。タングステンが入ると、鍛錬によって分子が細くなり易く、焼入れは油でも完全に入るという都合の良い性質があるのです。
白紙は青よりは値段が低いが、ウデのよいメーカーが使うと、同じ硬さであっても、粘り気があって、刃が長持ちするものが出来る。砥石に掛り易く鑢やセンも掛り易い。だが普通のメーカーではうまくこなせないのです。
従って鋼の善悪を値段だけで決定してはいけません。(つづく)


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