アメリカ削ろう会 アメリカで第2回削ろう会 まだまだやる気は満々

この記事は、日本刃物工具新聞(14/1/1号)より転載しました。

名工から若手まで輸を拡げ会員数は約900名へ

我が国の軸組構法の伝統をなす大工技術の継承、普及に務めている組織団体"削ろう会"のアメリカ支部発足に並行して、デモンストレーションイベントが十一月十七日、十八日、カリフオルニア州バークレーのクルーシンブル(鉄の飾り物加工、溶接等の技術を教えている学校)を会場として行われた。同会がアメリカで削ろう会のイベントを開催するのはこれで二回目であり、その上、アメリカ支部発足と関係もあるとあって、参加者は両日で四百数十名に達した。遠方からではニューヨーク、カナダ、オレゴン等、十一の州から続々と馳せ付けてきた。

さて、我が国の削ろう会は今年でその産声を挙げて五年目。会の目的は「世界最高の切れ味を持つ日本の大工道具」「その機能と性能」を研究、さらに「研ぎ一生」と一口に云われている「研ぎ」に関する技能の研鑚、木造建築の継手や仕口(しくち)、組手等の研究等である。設立当初は五十人足らずの会員数の団体であったが、現在では会員数約九百人を誇る。
現在、日本の軸組木造家屋は安かろう、悪かろうの能率主義が罷り通っている面が多い。それが為、文明の利器である機械に頼り切ってしまい、次第に手道具がこの世から姿を消しつつある。そんな中、若い職人から名だたる職人が所属する団体へと発展してきた会でもある。
今回のアメリカ削ろう会発足に当たっては、バークレーで日本の大工道具の販売へ携わる飛騨大工道員店(弘山監社長/五九歳/弘山氏)は十五年前、アメリカヘ単身で渡り日本の大工道具や園芸用品を専門に扱っている道員店経営)の活躍で実現したものである。それぞれの職人が過密な日程の合間を縫って、テロ犯人の仕業の不安もありながらも、それをものともせず、卓越した技能を世界へと拡大するために大工四名、鍛冶三名、道員店四名、砥石販売一名、木工教師一名、建員職一名、大工道具研究者等、総勢十九名で太平洋を渡った。

当日の会場では数カ所に分かれ刃物研ぎ、鉋削り、建具の組子(くみこ)指導、鉋刃製作、継手の実演指導などを行った。参加者の過半数はアメリカで木工に携わる職人。 日本の名工が作った鉋や色々な道具を、各自会場へ持参し、日本の工人達から日本の道具の技の神髄を学び取ろうと熱心であった。
参加した人達は、日本の刃物に底知れない魅力を感じていることから、初日、日本から参加した全員の紹介が終わると早速、鍛冶職、三木市の山口房一氏(七四歳)、与板町の舟弘こと船津祐司氏(五五歳)、楽山の銘で知られている横坂正人氏(六一歳)の三人が、会場内で鉋刃造りを実演してみせた。会場に設置してあるガス炉やコークス炉を使って温度を上げ、真っ赤に焼けた鉋刃材を「トンテンカン」「トンテンカン」と火の粉を吹き飛ばしながら、小気味良く打ち始めた。日本が世界に誇る高水準の卓越した技能を、固唾を飲んで幾重にも取り囲んでみている参加者は、青い目玉をさらに青く輝かせて、見惚(と)れていた。

“エクセレント"の連続
大鉋による薄削りへの賞賛

削りでは日本一と折紙が付く塩尻市の上條勝氏(四六歳)は七寸、五寸五分等の大鉋を携えてきた。七寸鉋幅一杯の薄い削りの華には、彼等もド肝を抜かれてしまい「エクセレント(素晴らしい)」を連発していた。参加者のひとり、削り競技の優勝者となったネバタシティー在庄のエリオット・リード氏(二四歳)は、大工となって三年目だというのに非常に熱心で、上條氏の大鉋で、ものの見事に削りの華を咲かせていた。
気持ち良さそうにニコニコとしている姿を見て、会場からら拍手が湧き起こった。
彼は日本人のようにはにかむことはなく、真剣に、素直に教えを乞う姿に好感が持てた。多分、来年は自分の大鉋を仕立て、上條氏と対決することだろう。 今から楽しみである。
さらに青い目の腕の細い娘さんや子供さん、果ては車椅子に乗った障害者の中年男性が、上條氏の寸八鉋で長い削り屑を出した時には「ヤンヤ」の歓声と大きな拍手が、会場一杯、鳴り響いていた。

微妙な手先の動きに息を飲む参加者

組子、組手の指導も他のコーナーでは新潟市の建貝職、坂井聡氏(三六歳)、名古屋市の大工職、檜川邦弘氏(三四歳)が、建具の組子、組手と呼ぷ細かな工芸品製作を指導した。三ツ組手の桜亀甲という難しい組手、変わり組手、壁掛け行灯(あんどん)の骨を組み上げる、その手先の微妙な動きに、参加者は息を飲み見惚(と)れていた。やおら気を取り直した参加者は、行灯作りのホゾの大きさ、穴の深さ等を質問しながら、時問の経つのも忘れて熱心に挑戦していた。

技を受け止め理解手斧使いの捌きも軽く

次に日本の削ろう会の親玉である名古屋市の杉村幸次郎氏(四六歳)は、アメリカ側で用意した樹齢二千年以上のレットウット、厚さ三五センチ、幅一メートル五センチ、長さニメートル五〇センチの埋もれ木の平面の狂っている部分を、板の上に飛び乗って、皆の見守る中、斧を使ってハツリだした。その姿を見て加勢する気になったのか、カリフォルニア、グラスバレー在庄のジェームス・ウイスター氏が杉村氏に負けじと手斧使いの手捌きも軽く、お互いが調子を取り「トン、コン、トン、コン」と始めた。日米の軽妙なリスムは、会場内をいやが上にも湧かせた。

二日目の参加者も約二百二十名と、昨日より膨れ上がり、会場内は熱気ムンムン継手作りも日米合同で仲良く行う。墨付けは私が行い、刻むのは米国の人達が先を争って四組に分かれ、鋸やノミを使って「ギコ、ギコ」「トントン」「カンカン」といった調子。
「もう一寸(ちょっと)ここの所が出張っている」とゼスチャーで示すと云われた通り。実に素直である。笑顔で答えてくれる。次に持って来る時、云われた通りに作っている。私の技を受け留め理解する。くどくどしい説明する言葉は邪魔になると思えた。
「もともと英語は一言もしゃべれない私だが・・・」。四方蟻継、四方鎌継、金輪継、を作り終わった。「ホッ」とした満足感からの表情は、東西を問わず、人問の顔って、こんなに美しいものかと思えた。


打刃物に深い魅力 道具へ愛着示すアメリカ人

二日問のイベントを振り返って見ると、向こう押しの鉋を携えて来た人も数人いたが、日本の鍛冶職が打ち上げた刃物に、いい知れぬ興味、深い魅力を感じ取り、日本の銘品を持参して来たアメリカ人を見て、現在の日本では替刃や電動具を使い、賃金になればそれで「はい一丁あがり」の貧弱な精神へ成り下がってしまったのが残念に感じられる。アメリカ人はその日本の手道具の切れ昧を如何なく発揮させるように、興味をもって努力してる。京都産の仕上砥のす場らしいものまで持参して、道員へ対する愛着はとても顕著。日本の職人を追い抜け、追い越せの気合いが漲(みなぎ)

っていた。 ワザモノも気軽に僅か2日間で意気投合

両国の職人が僅か二日問の削ろう会で意気投合し、技を研鑚し合い、実りある会であった。日本で研ぎ澄まし、持って行った鉋も、最初は使って良いのかと恐る恐る聞いて使ったアメリ力人は、業物(ワザモノ)の道具を気軽に使い、両国のコミュニケーションが十分図れたことは、喜ばしいことだった。 今年も不況と凶悪事件の連発に、米中枢同時テロが輸を掛けた。両国共に閉塞感が漂う暗い世相であったが、暗雲を吹き飛ぱす会となった。

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